根本 裕一(Yuichi NEMOTO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 根本 裕一(ネモト ユウイチ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 茨城県鹿嶋市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1981・7・23 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 174cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 66kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(LSB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ネモ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 03,06Jリーグフェアプレー個人賞 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
00 鹿島アントラーズ 23 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01 鹿島アントラーズ 23 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02 セレッソ大阪(2部) 26 | 34 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
03 ベガルタ仙台 17 | 28 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
04 大分トリニータ 17 | 18 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
05 大分トリニータ 17 | 23 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 大分トリニータ 17 | 34 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
07 大分トリニータ 17 | 20 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08 大分トリニータ 17 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08 ジェフ千葉 43 | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ツエーゲン金沢(4部) 18 | 14 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
10 ツエーゲン金沢(JFL) 18 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
11 ツエーゲン金沢(JFL) 18 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12 ツエーゲン金沢(JFL) 18 | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
スピードあるドリブルと絶え間のないフリーランニング、タイミングのいいオーバーラップで主導権を握る左サイドのスペシャリスト。クロスやFKと正確なキックも特徴です。 小学2年でサッカーを始め、5年で鹿島町の選抜チームに選ばれます。中学になると鹿島のジュニアユースに入団。左MFとしてプレーしましたが、やがてSBに転向しました。 高校生になり無事にユース昇格を決めます。1年からレギュラーに定着すると、97年のクラブユースで準優勝し、翌年のジュニアユース杯を制しました。 高校を卒業して00シーズンに鹿島のトップチームに昇格。しかし選手層が厚くJデビューは翌シーズンの3月17日東京V戦となり、5試合の出場に終わりました。 02シーズンにC大阪西村昭宏監督のオファーを受けてレンタル移籍します。3月3日開幕戦、山形との試合でFKを決めてJ初ゴールをマークし、レギュラーに定着しました。 03シーズンは仙台へレンタル移籍します。左SBとして攻撃的な岩本をフォローしたり、攻めあがったりと献身的なプレーを見せましたが、無念のJ2降格となりました。 大分ではベルガー、皇甫官、シャムスカと次々に指揮官が交代する不安定な状況でしたが、その確かな技術はどの監督からも重用されポジションを不動のものにします。06シーズンは全試合に先発出場して警告を1度も受けず、2度目のフェアプレー個人賞を受賞しました。 07シーズンは鈴木慎が途中に加入してきたこともあり出場機会が減り、翌シーズン途中に千葉へ移籍。しかしここでもポジション確保に至らず金沢へ移籍します。 1年目にJFL昇格を果たすと、2年目は27試合に出場と復調を遂げます。低迷して再起した4年目を最後に引退して指導者の道に進んでいます。 2000年のU−19以来全ての年代別代表に呼ばれ、2002年に釜山で開催されたアジア大会では全6試合に出場して準優勝に貢献しました。その後も五輪予選で最終予選を突破して本大会出場権を得たものの、登録メンバーから落選しています。 代表記録 2007年7月26日:新規アップ 2017年12月8日更新 |