ルーカス・ニール(Lucas NEILL)
フルネーム ルーカス・エドワード・ニール
国籍 オーストラリア
出身地 シドニー
生年月日 1978・3・9
身長 185cm
体重 76kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1996・10・9
サウジアラビア戦
代表背番号
W杯メンバー 06年 10年
ニックネーム  
個人タイトル 11AFCアジアカップベストイレブン
11アジアベストイレブン(AFC)
チームタイトル 01/02イングランドリーグ・カップ
11/12UAEカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95/96 ミルウォール(イングランド2部) 13
96/97 ミルウォール(イングランド3部) 39
97/98 ミルウォール(イングランド3部)
98/99 ミルウォール(イングランド3部) 35
99/00 ミルウォール(イングランド3部) 31
00/01 ミルウォール(イングランド3部) 24
01/02 ミルウォール(イングランド2部)
01/02 ブラックバーン(イングランド) 31 31
02/03 ブラックバーン(イングランド) 2  34
03/04 ブラックバーン(イングランド) 2 32
04/05 ブラックバーン(イングランド) 2 36
05/06 ブラックバーン(イングランド) 2 35
06/07 ブラックバーン(イングランド) 2 20
06/07 ウェストハム(イングランド) 2 11
07/08 ウェストハム(イングランド) 2 34
08/09 ウェストハム(イングランド) 2 34
09/10 エヴァートン(イングランド) 23 12
09/10 ガラタサライ(トルコ) 12 14
10/11 ガラタサライ(トルコ) 2 25
11/12 アル・ジャジーラ(UAE) 2 19
12/13 アル・ワスル(UAE) 2 11
12/13 シドニーFC
13 大宮アルディージャ(日本) 22
13/14 ワトフォード(イングランド2部) 29
13/14 ドンカスター(イングランド2部) 27
14/15     
15/16     
スピードや連携プレー、読みにも優れ手堅い守備が持ち味ですが、激しいコンタクトを仕掛けるため、相手を負傷させたり、カードが多くなったりする傾向があります。しかし高精度のフィードで攻撃の起点になり、最終ライン全てに対応、さらに統率力も備える守備の中心軸です。

北アイルランド系のルーツを持つ家に生まれます。父親がプロサッカー選手だったこともあり自身も早くからトレーニングを始めます。1995年に17歳でミルウォールとプロ契約を結ぶと、同胞のMFケーヒルともプレーするなど通算で174試合に出場しました。
01/02シーズン途中にブラックバーンへ移籍し、2001年9月8日サンダーランド戦でプレミアデビューを果たします。10日後のボルトン戦にて初ゴールをマークしました。
やがて右SBとしてレギュラーに定着するものの、03/04シーズンより代表の僚友エマートンの加入でCBとしてもプレーするようになります。また、9月13日リヴァプール戦で相手DFキャラガーを負傷させるなど、激しいプレーはしばしば物議を醸すことが多くなりました。
05/06シーズンはリーグのマンチェスター・Uで勝利に貢献するゴールを挙げ、FA杯、リーグ杯と国内の各大会でゴールをマークするなど存在価値を高めます。リヴァプールやバルセロナへの移籍も取りざたされましたが、06/07シーズン途中にウェストハムへ移籍します。
3月3日トッテナム戦では早くもキャプテンマークを巻いてプレミア残留に貢献し、UEFA杯ナンシー戦でもゴールを決めました。その後レオ=コーカーが去ったため正式にキャプテンに就任、その存在でチームに安心感を与え、続く2シーズンで順位を少しずつ上昇させました。
09/10シーズンにエヴァートンへ入団するもハイティンハの存在もあって12試合の出場にとどまり、途中で同胞のMFキューウェルが所属するガラタサライへ移籍。1月24日ガズィアンテプスポル戦でリーグデビューし、4月11日ディヤルバキルスポル戦で初ゴールを挙げます。2年目終了後に中東を経て12/13シーズン途中から初めて母国のピッチに立ちました。
翌シーズンに大宮に入って第22節柏戦でJデビューしますが、ライバル国のリーグでも9試合に終わり、イングランドに戻っています。

1996年10月9日サウジアラビア戦で18歳にしてフル代表デビューを果たします。その後1997年Wユース、2000年シドニー五輪にそれぞれ3試合出場しました。
2005年コンフェデ杯で3試合に出場し、2006年W杯予選は終盤の4試合にスタメン出場。ウルグアイとの大陸間プレーオフでPKを成功させ、32年ぶりの出場権を獲得します。本大会では日本を下すきっかけとなるスローインをして決勝トーナメントに進出したものの、初戦のイタリア戦終了間際にペナルティエリア内で相手SBグロッソを倒してPKを献上しました。
W杯終了後にキャプテンに就任。2007年アジア杯に初参加しますが、イラク戦で退場処分になり、日本戦でPKを失敗するなど苦杯をなめました。しかし2010年W杯予選では9試合出場、最終予選でわずか1失点と堅守を見せました。本大会では3試合にフル出場しました。
2011年アジア杯では5試合出場、韓国戦の1失点に抑えて準優勝になりました。2014年W杯予選でも無所属ながら13試合と依然として不可欠な存在であることを示しました。
代表記録

2011年1月29日:新規アップ 2016年6月8日更新