楢崎 正剛(Seigo NARAZAKI)
フルネーム 楢崎 正剛(ナラザキ セイゴウ)
国籍 日本 楢崎
出身地 奈良県香芝市
生年月日 1976・4・15
身長 185cm
体重 76kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1998・2・15
オーストラリア戦
代表背番号 1 12 21
W杯メンバー 98年 02年
06年 10年
ニックネーム ナラ、セイゴー
個人タイトル 96,98,03,08,10,11Jリーグベストイレブン
10Jリーグ最優秀選手
チームタイトル 98,99天皇杯
04AFCアジアカップ
10Jリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95 横浜フリューゲルス 23
96 横浜フリューゲルス 23
97 横浜フリューゲルス 24
98 横浜フリューゲルス 34
99 名古屋グランパス 1 25
00 名古屋グランパス 1 30
01 名古屋グランパス 1 28
02 名古屋グランパス 1 30
03 名古屋グランパス 1 28
04 名古屋グランパス 1 26
05 名古屋グランパス 1 32
06 名古屋グランパス 1 24
07 名古屋グランパス 1 29
08 名古屋グランパス 1 30
09 名古屋グランパス 1 26
10 名古屋グランパス 1 34
11 名古屋グランパス 1 24
12 名古屋グランパス 1 32
13 名古屋グランパス 1 34
14 名古屋グランパス 1 34
15 名古屋グランパス 1 34
16 名古屋グランパス 1 27
17 名古屋グランパス(J2) 1 29
18 名古屋グランパス 1
代表のライバル川口の「動」に対し、「静」のセービングを見せますが、もちろん機に応じて飛び出す場面もあります。川口にはない高さでハイボールも安定しているGKです。

奈良県に生まれ、地元の小学校である三和小4年生からサッカーをj始めます。当時から身長が高かったため、GKでプレーしていました。フィールドプレーヤーも務めていましたが、中学時代に県の選抜チームに入ったのを機にGKに専念するようになります。
高校は奈良育英へ入学し、GKとしてのトレーニングを本格的に始めると、3年時にはキャプテンに就任します。高校選手権では、初戦でMF佐藤由やFW安永を擁する優勝候補の清水商を下しました。準決勝で市立船橋に敗れましたが、3位となりました。
1995年に高校を卒業し、そのまま横浜Fへ入団しました。正GK森敦彦が3ヶ月の出場停止処分を受けたことによりチャンスが訪れ、8月26日にJリーグデビュー。23試合に出場して以降正守護神の座を築くことになり、翌年にはJリーグベストイレブンにも選ばれました。
しかし、1999年に横浜Fが横浜Mと合併することになります。直前のシーズンはリーグ戦フルタイム出場を果たし、天皇杯でも頂点に上り詰めました。
そして名古屋へ移籍。それまでの正GK伊藤裕をベンチに追いやり、共に加入したMF山口素と共にスタメンになくてはならない存在となります。天皇杯では2連覇を果たしました。
以降チームでは不動の守護神となり、2年目にはキャプテンに就任。千葉で活躍した櫛野や若い川島といった後進の存在も問題にしないほど圧倒的な存在感を見せつけます。
09シーズンは7月の浦和戦で史上初となるJリーグ公式戦100完封を成し遂げ、翌シーズンは全試合に出場してクラブ初のリーグ制覇の原動力となり、JリーグのMVPに選出されました。11シーズンは2度も離脱して連覇を逃しながら、ベストイレブンになりました。
その後も最年長者としてチームを牽引しますが、16シーズンは小倉監督の下で低迷、闘莉王が復帰したものの及ばず、18年守ってきたJ1の座から陥落しました。J2では武田洋など後進の台頭もありましたが、29試合に出て1年でJ1復帰を果たしました。
しかしオーストラリア代表ランゲラックの加入で出場機会がなく、長きにわたり共に日本代表の守備を支えた川口や中澤に続いて現役引退を表明しています。
J1:631試合 J2:29試合

1998年2月15日のオーストラリア戦でフル代表デビューします。同年のW杯では第3GKでのメンバー入りだったため、出場機会はありませんでした。
トルシエ監督就任後は徐々に出場機会が増えます。2000年のシドニー五輪では、彼が兼任するU−23日本代表としてオーバーエージ枠で4試合出場。準々決勝アメリカ戦で負傷してチームも敗れますが、試合終了まで出場する気迫を見せました。
2002年W杯ではレギュラーが濃厚だった川口からポジションを奪い全4試合フル出場し、ベスト16進出に貢献。2003年コンフェデ杯は3試合プレーしますが、やがて控えに回り、2004年アジア杯や2006年W杯は好調の川口の前に出場機会はほとんどありませんでした。
オシム、岡田体制でも控えでしたが、W杯3次予選のバーレーン戦での敗戦を機に、スタメンの座を手にします。2010年W杯予選では正守護神として10試合に出場し、4回目の出場権を獲得しました。その後親善試合での敗戦が響いて川島にポジションを明け渡しますが、経験の浅い彼を川口と共に心技に渡ってサポートし、本大会終了後に引退しています。
代表記録 77試合

2006年2月8日:新規アップ 2019年1月8日更新