名良橋 晃(Akira NARAHASHI)
フルネーム 名良橋 晃(ナラハシ アキラ)
国籍 日本  
出身地 千葉県千葉市
生年月日 1971・11・26
身長 170cm
体重 67kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1994・9・27
オーストラリア戦
代表背番号 2 12 22
W杯メンバー 98年
ニックネーム ナラさん
個人タイトル 01Jリーグベストイレブン
08Jリーグ功労選手賞
チームタイトル 95/96アジア・カップウィナーズ・カップ
97ファーストステージ
97,00,02ナビスコカップ
94,97/98,00/01天皇杯
98,00,01セカンドステージ
98,00,01年間優勝
所属クラブおよび背番号 出場 得点
92 フジタ(JFL) 18
93 フジタ(JFL) 17
94 ベルマーレ平塚 39
95 ベルマーレ平塚 46
96 ベルマーレ平塚 29
97 鹿島アントラーズ 32 17
98 鹿島アントラーズ 22 33
99 鹿島アントラーズ 2 15
00 鹿島アントラーズ 2 26
01 鹿島アントラーズ 2 27
02 鹿島アントラーズ 2 25
03 鹿島アントラーズ 2 27
04 鹿島アントラーズ 2 12
05 鹿島アントラーズ 2 11
06 鹿島アントラーズ 2
07 湘南ベルマーレ(J2) 35
豊富な運動量で右サイドを献身的に上下動し、スピードに乗ったオーバーラップやペナルティエリアへ侵入してゴールを狙う攻撃性の強い右SBです。守備では激しいスライディングタックルを仕掛けるアグレッシブなプレーを見せます。小柄ですが、がっしりした体躯の持ち主です。

千葉市生まれ。野球をしていましたが、マラドーナにあこがれ小学2年から地元のクラブに入ってFWとしてプレー。4年時には千葉北FCという市内の選抜チームに入りました。
地元中学を経て千葉英和に進むものの、当時の千葉県は市立船橋と習志野の2強で、高校選手権の出場はなりせんでした。とはいえ3年時には国体選抜入りのテストとなる順大との練習試合で2ゴールを挙げ、メンバー入りを果たしました。
高校卒業後にフジタ(後の平塚、現湘南)に練習生として参加、入団テストとなったトップチームでの日産(現横浜FM)との練習試合で1ゴールを決め、正式に入社します。左SBでの起用にも及第点のプレーを見せ、プロ契約を結んだシーズンのJFLでアシスト王になりました。
2年後にJリーグに昇格すると、1994年3月12日V川崎(現東京V)との開幕戦でスタメン出場し、Jリーグデビューします。1stステージこそ11位と低迷したものの、2ndステージでは左SBの岩本と共に攻撃的SBとして脚光を浴び、2位と大躍進を果たしました。天皇杯でも快進撃は続き、クラブにとってフジタ時代以来15年ぶりの優勝に貢献しました。
97シーズンに鹿島へ。かねてから尊敬していたブラジル代表ジョルジーニョの存在が移籍する決め手となりました。ボランチへポジションを移した彼とプレーすることで技術はもちろんメンタルでも影響を受けました。そしてナビスコ杯と天皇杯の2冠獲得を皮切りに翌シーズンはキャリア最多の5ゴールを挙げてリーグ優勝に貢献するなど、常勝クラブの一員となりました。
しかし04シーズンから度重なるケガに悩まされ、06シーズンは内田篤の台頭により出番を失いました。これに伴い07シーズンより古巣湘南に復帰しましたが、7月に契約が切れたため退団し、そのまま現役を退いています。
J1リーグ:310試合23得点 J2リーグ:1試合

高校3年次にユース代表に選ばれ、永井良和監督の提言によりSBにコンバートされ、帯同していたクラマーコーチから10日間指導を受けてDFとしての新しいスタートを切ります。バルセロナ五輪予選ではMFとして澤登、名波、藤田、相馬直らと共に戦いましたが、敗退しました。
1994年9月27日オーストラリア戦でフル代表デビュー。柳本や中村忠、市川らとのポジション争いは熾烈を極めましたが、3バック、4バックの両方に対応できるため加茂と岡田両監督に重用され、1998年W杯予選に10試合、本大会に3試合プレーしました。
その後ジーコ監督により久々に代表復帰しましたが、2003年6月8日アルゼンチン戦で大敗を喫し、世代交代の波を受けて代表を退いています。
代表記録 38試合
2008年6月2日:新規アップ 2012年3月1日更新