中村 憲剛(Kengo NAKAMURA)
フルネーム 中村 憲剛(ナカムラ ケンゴ)
国籍 日本 中村憲
出身地 東京都小平市
生年月日 1980・10・31
身長 175cm
体重 66kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2006・10・4
ガーナ戦
代表背番号 14 53
W杯メンバー 10年
ニックネーム ケンゴ
個人タイトル 06〜10,16,17Jリーグベストイレブン
16Jリーグ年間最優秀選手
チームタイトル 17Jリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03 川崎フロンターレ(J2) 26 34
04 川崎フロンターレ(J2) 14 41
05 川崎フロンターレ 14 29
06 川崎フロンターレ 14 34 10
07 川崎フロンターレ 14 30
08 川崎フロンターレ 14 34
09 川崎フロンターレ 14 32
10 川崎フロンターレ 14 27
11 川崎フロンターレ 14 30
12 川崎フロンターレ 14 34
13 川崎フロンターレ 14 29
14 川崎フロンターレ 14 30
15 川崎フロンターレ 14 33
16 川崎フロンターレ 14 31
17 川崎フロンターレ 14 32
18 川崎フロンターレ 14    
広い視野での展開力とキープ力でチャンスをうかがい、鋭い縦パスでチームの攻撃にスイッチを入れる川崎Fの象徴。強烈なミドルや精度の高いFKも持ち味です。

東京都小平市に生まれ、その後小金井市に引っ越しました。小学1年からボールを蹴り始め、府ロク少年団では全日本少年サッカー大会にも出場しました。身長はなかなか伸びませんでしたがテクニックは既にこの頃から卓越していました。小金井ニ中時代まではドリブラーでしたが、久留米高入学後はパスセンスを磨きました。高校選手権には出場していません。
高校卒業後、中大に進学しました。3年の時は中大史上初の2部降格を経験するものの奮起し、4年ではキャプテンとしてチームを引っ張り、昇格がかかった試合で1ゴール2アシストと活躍して1部復帰に貢献。自身はベストイレブンとアシスト王になりました。
2002年6月から川崎Fの練習に参加して2003年に正式に入団が決定、開幕のアウェー広島戦でJデビューしました。当初はトップ下としてプレーしていましたが、2年目に関塚新監督によりボランチへコンバートされるとプレーの幅が広がり潜在能力が開花。ジュニーニョや我那覇らFW陣に好アシストを連発し、J1昇格の立役者になりました。
06シーズンは開幕から2連続ゴールを挙げるなど決定力も向上、10ゴールを挙げてチームの躍進に貢献。中盤でコンビを組む谷口博と共にベスト11に選出されました。
07シーズンにキャプテンに就任。チームを日本のクラブ初のACL決勝トーナメント進出に導くゴールも挙げるなど、フル稼働の活躍を見せます。09シーズンは攻撃的MFに復帰し、リーグ、ナビスコ杯で準優勝、天皇杯でベスト8とタイトルを争う強豪チームをけん引しました。
10シーズン開幕前にACLの試合で負傷し、Jリーグの序盤戦欠場を余儀なくされます。しかし驚異的な回復を見せて稲本と共にリーグ屈指の中盤を形成、チーム最多の5アシストとさすがの活躍を見せますが、4位に終わってACL出場権を逃しました。11シーズンは本拠G大阪戦で試合を決めるFKを決めるなどここ一番の勝負強さも見せました。12シーズンは途中で就任した風間監督の指導を受け、自己最多の13アシストを見せます。翌シーズンも3試合連続ゴールを挙げた他、大久保やレナトへのアシストもあり、チームを3位に引き上げました。
14シーズンはACLで8試合戦い2連続ゴールを決めて決勝トーナメントに進みます。しかし国内リーグは過密日程で終盤にケガで離脱し、チーム失速の要因となりました。
16シーズンは優勝を逃しますが、ホーム甲府戦の2ゴールやアウェー浦和戦の先制点など9ゴール11アシストを挙げ、JリーグのMVPに選出されました。
翌シーズンは小林悠にキャプテンマークを託し、リーグ最多の11アシストでこのエースや移籍してきた阿部浩らをおぜん立てします。大宮との最終節で圧勝し、鹿島が引き分けた結果で逆転優勝、入団以来苦節15年で勝ち取った初タイトルに感極まりました。表彰式では小林悠の計らいもあり、共にキャプテンマークを巻いて勝ち名乗りを上げました。

Jリーグでのコンスタントな活躍をオシム監督に見出され、2006年10月4日ガーナ戦で代表デビュー。一週間後のアジア杯予選インド戦では豪快なミドルで代表初ゴールを挙げました。
2007年アジア杯では6試合出場してベスト4となり、2010年W杯予選でも8試合で2ゴールを挙げ、本大会出場を決めたウズベキスタン戦では岡崎の決勝点をアシストしました。
本大会では戦術変更により序盤はバックアッパーとなりましたが、決勝トーナメントのパラグアイ戦で出場機会を得ています。
代表記録

余談
・2010年代半ばより、ゴールパフォーマンスにタレントのネタを採り入れています。
2007年7月9日:新規アップ 2017年12月8日更新