ミューレル(MULLER)
フルネーム ルイス・アントニオ・コレア・ダ・コスタ
国籍 ブラジル  
出身地 カンポ・グランデ
生年月日 1966・1・31
身長 178cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1986・3・12
西ドイツ戦
代表背番号 7 9 15
W杯メンバー 86年 90年
ニックネーム  
個人タイトル 87ブラジル全国選手権得点王
87ブラジル全国選手権ベストイレブン(プラカール誌)
チームタイトル 85,87,91,92,96サンパウロ州選手権
85FIFAワールドユース
86,91ブラジル全国選手権
92,93コパ・リベルタドーレス
92,93FIFAインターコンティネンタル・カップ
98ミナスジェライス州選手権
99レコパ・スダメリカーナ
00ブラジルカップ
94FIFAワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
83 オペラリオ    
84 サンパウロ    
85 サンパウロ 15
86 サンパウロ 30 11
87 サンパウロ 15 10
88 サンパウロ
88/89 トリノ(イタリア) 31 11
89/90 トリノ(イタリア2部) 27 11
90/91 トリノ(イタリア)
91 サンパウロ
92 サンパウロ 17
93 サンパウロ 12
94 サンパウロ
94 柏レイソル(日本JFL) 13
95 柏レイソル(日本) 11
95 パルメイラス 20
96 サンパウロ 20 11
96/97 ペルージャ(イタリア) 34
97 サントス 27 10
98 サントス  
98 クルゼイロ 22
99 クルゼイロ 16
00 クルゼイロ
00 コリンチャンス
01 コリンチャンス    
01 サン・カエターノ 15
02 サン・カエターノ    
03 トゥピ(3部)    
03 ポルトゲーザ(2部)
04 イパティンガ(3部)    
15 フェルナンドポリス(8部)
STとしては一瞬の飛び出しから決定的な仕事を見せ、左WGとしてはスピーディなドリブルで敵陣に侵攻し、正確なパスで多くのチャンスを作ります。

オペラリオを経てサンパウロでプロのキャリアを始めます。カレカとの2トップで州選手権を2度制し、彼がナポリへ移籍した後の87シーズンには得点王に輝きました。
88/89シーズンにトリノへ移籍します。ユーゴスラヴィア代表スコロと2トップを組んで31試合11得点と及第点の成績を残しますが、16位に終わって降格となりました。しかしそのまま残って再び11得点を挙げてBを制し、1年でのA復帰を果たしました。
91シーズンにサンパウロへ移り、ライーやレオナルドと共に全国選手権で優勝。翌シーズンはリベルタドーレスでニューウェルスを、インターコンティネンタル杯でバルサを下しました。
93シーズンのリベルタドーレスもU・カトリカから得点を挙げ、インターコンティネンタル杯でもミラン相手に3点目を挙げて両タイトルを防衛しました。94シーズンもリベルタドーレスでベレスとの決勝に進み、2ndレグで同点弾を挙げますが、PK戦の末敗れました。
その後柏に移り、カレカやロペス(現呂比須)と前線を組んで昇格を決めます。1995年3月18日横浜Fとの開幕戦でJデビューしますが、結果を残せず退団しました。
パルメイラスではリヴァウドやエジウソンとの攻撃を披露し、復帰したサンパウロでもセルジーニョやデニウソンなどとの連係で結果を残します。イタリアでは無得点に終わり降格の一因となりますが、サントスではカレカと3度目のコンビを組んでチームをけん引しました。
その後は加齢もあって結果を残せず、晩年は下部リーグでプレーしました。

1985年Wユースでは6試合3得点で優勝に貢献し、翌年3月12日西ドイツ戦でフル代表デビュー。W杯メンバーでも5試合ピッチに立ちましたが、無得点に終わりました。
1990年W杯では4試合戦い、コスタリカとスコットランド相手に決勝点を挙げました。4年後はロマーリオの前に1試合に終わりますが、母国4度目の優勝を果たしました。
代表記録 56試合12得点

2018年1月25日:新規アップ