ミチェル・サルガド(MICHEL SALGADO)
フルネーム ミチェル・アンヘル・サルガド・エルナンデス
国籍 スペイン
出身地 ポンテヴェドラ
生年月日 1975・10・22
身長 174cm
体重 75kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1998・9・5
キプロス戦
代表背番号
W杯メンバー 06年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 99/00,01/02UEFAチャンピオンズ・リーグ
00/01,02/03,06/07,07/08リーガ・エスパニョーラ
02FIFAインターコンティネンタル・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
93/94 セルタB(3部) 20
94/95 セルタB(3部)    
94/95 セルタ 14
95/96 セルタ 18
96/97 サラマンカ(2部) 36
97/98 セルタ 2 25
98/99 セルタ 2 35
99/00 レアル・マドリー 2 29
00/01 レアル・マドリー 2 27
01/02 レアル・マドリー 2 35
02/03 レアル・マドリー 2 35
03/04 レアル・マドリー 2 35
04/05 レアル・マドリー 2 30
05/06 レアル・マドリー 2 27
06/07 レアル・マドリー 2 15
07/08 レアル・マドリー 2
08/09 レアル・マドリー 2
09/10 ブラックバーン(イングランド) 27 21
10/11 ブラックバーン(イングランド) 27 36
11/12 ブラックバーン(イングランド) 2
小柄ですがスタミナは豊富で、右サイドを激しく上下動します。果敢なオーバーラップで幾多のチャンスを演出。堅実な仕事とタフな精神力での波の少なさが何よりの長所です。

セルタの下部組織からキャリアがスタートし、1995年1月22日R・マドリー戦でリーガデビュー。途中でレンタル移籍もしましたが、レギュラーとして順調にキャリアを積みます。
97/98シーズンはリーグ6位になってUEFA杯出場権を獲得、本大会でもモストヴォイやマケレレ、カルピンなどといったタレントと共に、ベスト8までコマを進めました。
この活躍で脚光を浴びてR・マドリーに移籍すると、パヌッチの穴を埋めて不動の右SBとなり、それぞれ2度の欧州、リーグタイトルの獲得に貢献します。スターがそろうチームの中では地味ですが、その実力に疑いの余地はなく他クラブから多くのオファーを受けました。しかし05/06シーズンに加入した若いS・ラモスの前に、出場機会が減少しました。
09/10シーズンにクラブがアルベロアを呼び戻したためブラックバーンに入り、33歳で初めて海外リーグに挑戦します。2009年9月12日ウルブズ戦でプレミアデビューし、ピーターバラとのリーグ杯では移籍後初ゴールをマーク。2年目はスタメンでしたが、3年目は若手の台頭で9試合に終わってチームもプレミアから姿を消しました。そして引退を決めています。

1995年Wユースでは日本戦含む5試合に出場、ポルトガルとの3位決定戦で先制ゴールを挙げましたが、逆転負けで4位に終わりました。
1998年のU−21欧州選手権を制し、同年9月5日欧州選手権予選キプロス戦でのフル代表デビュー以降不動の右SBとなり、2000年欧州選手権に4試合出ました。その後は当時SBだったプジョールの台頭で、2002年W杯メンバーに選ばれませんでした。
2004年欧州選手権予選では怪我のプジョールに代わって代表復帰、本大会メンバーにも名を列ねますが、直前に筋裂傷となり復帰まで3週間かかるため出場を断念しました。
2006年W杯予選は10試合に出場。本大会ではS・ラモスが右SBに固定されたため、グループリーグを突破した後のサウジアラビア戦のみの出場となりました。
代表記録 53試合

余談
・「ミチェル」は愛称で、本名は「ミゲル」。幼少の時在籍していたクラブの他の選手と区別するために、当時の監督が名づけました。
・夫人は、R・マドリーで会長を務めたサンス氏の娘です。
2006年8月4日:新規アップ 2013年9月23日更新