森重 真人(Masato MORISHIGE) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 森重 真人(モリシゲ マサト) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 広島県広島市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1987・5・21 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 74kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2013・7・21 中国戦 |
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代表背番号 | 6 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 14年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | モリゲ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 13〜16Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 08ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
11天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
06 大分トリニータ 15 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07 大分トリニータ 15 | 20 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08 大分トリニータ 6 | 28 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
09 大分トリニータ 6 | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
10 FC東京 3 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
11 FC東京(J2) 3 | 37 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
12 FC東京 3 | 33 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13 FC東京 3 | 33 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
14 FC東京 3 | 33 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
15 FC東京 3 | 32 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
16 FC東京 3 | 32 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
17 FC東京 3 | 17 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
18 FC東京 3 | 30 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
19 FC東京 3 | |||||||||||||||||||||||||||||
長身ではないものの、強靭なフィジカルを用いて空陸問わず強さを発揮し、統率力や判断力も備えた守備のリーダーです。元来FWだけに「モリゲターン」と呼ばれる足技で相手の意表を突き、セットプレーでのヘッドやFKキッカーと攻撃面も優秀です。 広島市に3人兄弟の次男として生まれ、兄の影響でサッカーを始めます。GKやFWをハイレベルでこなし、小学生ながら長髪だったことから「三篠のロン毛くん」と呼ばれました。 口田に引っ越した後は短髪となり、地域選抜の高陽FCでは1999年の全日本少年サッカー決勝大会に出場、CFとして10番を着けて2次リーグに進出しました。 その後広島のジュニアユースに進みます。後に共にCBとなる槙野と2トップを組んだ時期もありましたが、中学3年の時にボランチへコンバートされました。ユースにも昇格できませんでしたが、広島皆実高では1年からレギュラーに定着して高校選手権に出場しました。 06シーズンに大分に入り、3月12日広島戦でJデビュー。シャムスカ監督からのCBへのコンバートに応え、2年目から大幅に出番が増えて12月1日新潟戦で初ゴールを挙げました。3年目はGK西川やCB上本らとの守備で24とリーグ最少失点で4位になると、ナビスコ杯でも7試合に出て新潟戦で得点を挙げるなどクラブに初タイトルをもたらしました。 09シーズンはケガに加え降格となってFC東京に移籍、ボランチで戦うも年間16位で自身2年連続の降格となりました。J2では3試合連続ゴールを見せるなど1年でJ1に戻りました。そして天皇杯では神戸と京都相手にゴールを挙げてクラブ2度目のタイトル獲得に貢献しました。 その後今野の退団により最終ラインおよびチームの大黒柱となります。12シーズンのACLは7試合に出場するなど国外のクラブ相手にも力強さを示しました。 14シーズンから2年連続で名古屋にオウンゴールを献上し、15シーズンは天皇杯で広島戦で退場しますが、キャリアハイの7ゴールを挙げました。16シーズンも名古屋戦で2ゴールを挙げた後に一発レッドを受けるなど、自身にとって因縁のカードとなりました。 17シーズンはルヴァン杯大宮戦で終了間際に決勝点を挙げます。リーグ戦はC大阪戦で左足首を傷めました。翌シーズンは韓国代表チャン・ヒョンスとのコンビを確立しました。 2007年のU−20W杯は福元や槙野の控えとして3試合に出て16強に進出。北京五輪は水本と共に守りますが、アメリカ、ナイジェリア、オランダに3連敗しました。 2009年に岡田監督から招集されるもケガで離脱しました。しかしJ1での着実な活躍により4年後の7月21日、東アジア杯中国戦でフル代表にデビューします。ここでのプレーがザッケローニ監督の信頼を得て翌年のW杯でもコートジボワール戦に先発しました。 アギーレ時代に臨んだ2015年アジア杯で4試合、ハリルホジッチ監督の下での東アジア杯でもキャプテンとして3試合に出場しました。 2018年W杯予選も12試合戦い、アフガニスタン戦でゴールを決めました。しかし昌子の台頭により2大会連続出場はなりませんでした。 代表記録 2015年9月8日:新規アップ 2018年12月27日更新 |