ジョー=マックス・ムーア(Joe-Max MOORE) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ジョー=マックス・ムーア | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | アメリカ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | タルサ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1971・2・23 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 175cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 68kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1992・9・3 カナダ戦 |
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代表背番号 | 9 15 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 94年 98年 02年 |
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ニックネーム | JMM | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 ザールブリュッケン(ドイツ2部) | 30 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 ニュルンベルク(ドイツ2部) | 27 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
96 ニューイングランド・レボリューション | 14 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
97 CSエメレク(エクアドル) | |||||||||||||||||||||||||||||
97 ニューイングランド・レボリューション | 13 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
98 ニューイングランド・レボリューション | 21 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
99 ニューイングランド・レボリューション | 29 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 エヴァートン(イングランド) 23 | 15 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 エヴァートン(イングランド) 19 | 21 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 エヴァートン(イングランド) 19 | 16 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 エヴァートン(イングランド) 19 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 ニューイングランド・レボリューション | 17 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
04 ニューイングランド・レボリューション | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
俊敏性に長け、エリア内で存在感を発揮するだけでなく、FKも得意とする米国有数の点取り屋。小柄ですが闘争心旺盛で、激しいタックルなどのハードワークも率先してこなし、複数のポジションに対応する柔軟性もあります。果敢なプレースタイルからケガがちなのが欠点です。 北米リーグのチームのオーナーである父親の下、オクラホマ州に生まれます。14歳の時にカリフォルニア州に移住し地元のクラブにてトレーニングを本格化させていきました。 その後UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に進み、後の代表の同僚GKフリーデルやMFジョーンズなどと出会い、2年間で65試合に出場、38得点24アシストを決めました。 1994年、ドイツ2部のザールブリュッケンでプロのキャリアが始まります。30試合に出場してチーム最多の13得点と結果を残すと、ニュルンベルクでも8得点をマークしました。 MLSが開幕した1996年に母国へ戻り、NEレボリューションに加入。2年目に結果を残せなかったことから、試合勘を損なわないためにエクアドルへ短期間レンタル移籍しました。 99シーズンに自己最多の15得点を挙げると、エヴァートンと3年半の契約を交わします。12月26日サンダーランド戦でプレミアデビューすると、2000年1月15日のトッテナム戦では試合終了間際に同点弾を決め、クラブのプレミアリーグでのホームゲーム無敗記録を継続させました。1月から2月にかけてはFA杯含む5試合連続得点を決めるなど瞬く間にフィットします。 しかしその後はD・ファーガソンやラヂンスキの加入によりベンチが定位置となり、2002年W杯のポーランド戦で負傷して直後のシーズンを棒に振りました。 そして新星ルーニーの台頭もあり退団を決意し、2003年にNEに復帰。1年目は17試合で4得点を挙げましたが、じん帯を負傷したため現役を退いています。 UCLA時代にユース代表に招集され、1989年Wユースやバルセロナ五輪にも出場。後者では3試合に出場し、敗れはしましたが、アルベルティーニやD・バッジョ擁するイタリアから得点を奪いました。そして五輪終了後の1992年9月3日カナダ戦でフル代表デビューします。 地元開催の1994年W杯ではメンバー入りこそするも出番はありませんでした。1998年ゴールド杯では準優勝となり、同年のW杯では2試合に出場するものの、ドイツやユーゴスラヴィアといった強豪の前にグループリーグで姿を消しました。翌1999年コンフェデ杯では3試合戦い、マテウス、レーマン、ノイヴィル擁するドイツから得点を挙げて勝利に貢献しました。 2002年W杯予選では12試合に出場。ホンジュラス戦とジャマイカ戦でそれぞれ2得点挙げて3大会連続で出場権を勝ち取りました。本大会でも2試合に出場しベスト8になっています。 代表記録 99試合24得点 2009年1月29日:新規アップ 2012年8月11日更新 |