茂庭 照幸(Teruyuki MONIWA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 茂庭 照幸(モニワ テルユキ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 東京都品川区 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1981・9・8 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 181cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2003・10・8 チュニジア戦 |
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代表背番号 | 2 24 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | モニ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 05Jリーグフェアプレー個人賞 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 04ナビスコ、17ルヴァンカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
17天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
99 ベルマーレ平塚 24 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00 湘南ベルマーレ(J2) 2 | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01 湘南ベルマーレ(J2) 22 | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02 FC東京 2 | 19 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 FC東京 2 | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 FC東京 2 | 22 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05 FC東京 2 | 32 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 FC東京 2 | 24 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07 FC東京 2 | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08 FC東京 2 | 22 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 FC東京 2 | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 セレッソ大阪 3 | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11 セレッソ大阪 3 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12 セレッソ大阪 3 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
13 セレッソ大阪 3 | 16 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
14 バンコク・グラス(タイ) 3 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
15 セレッソ大阪(J2) 33 | 14 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
16 セレッソ大阪(J2) 3 | 20 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17 セレッソ大阪 3 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18 セレッソ大阪 3 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19 FCマルヤス岡崎(J2) | |||||||||||||||||||||||||||||
フィジカルの強さとスピードを生かした対人プレーが得意なストッパーです。ポジションの割にファールが少なく、スマートなプレーを信条とします。 東京都品川区生まれ。小学校時代は神奈川県厚木市で送り、地元のゴールプランダーズに所属します。当時は後にプロで同僚となるMF石川直宏も在籍していました。 ジュニアユースから平塚(現湘南)に所属し、ユース時代の1999年8月にトップデビュー。11試合出場と高校在学中としてまずまずの出来でしたが、翌年J2に降格します。 J2で2年過ごした後、2002年にFC東京へレンタル移籍します。レギュラーであるジャーンの出場停止によってスタメン出場を果たしますが、G大阪相手に5失点を喫します。2003年に完全移籍すると周囲との連係が熟成され、チームの最終ラインを安定させます。 しかし09シーズンはケガに悩まされ、大差での敗戦が続いて監督の構想外となったこともあり、昇格したC大阪へ加入します。そして全34試合と完全復活を果たし、昇格したチームが3位に躍進した大きな要因となりました。2年目は早くもキャプテンマークを託されるなど守備陣の中心になりますが、13シーズンに復帰した山下達にレギュラーを明け渡しました。 14シーズンにタイへ活躍の場を求め、30試合に出場するなど健在ぶりを示すと、15シーズンにJ2に降格したC大阪に復帰、2年目にJ1復帰を果たします。3年目はリーグ戦こそ1試合でしたが、ルヴァン杯で9試合、天皇杯で4試合に出て2冠に輝きました。 19シーズンにJFLへ新天地を求めています。 U−22日本代表としてプレーしていましたが、2003年10月8日のチュニジア戦でフル代表デビューし、同年12月の東アジア選手権のメンバーにも入ります。 その後は五輪対策としてU−23に合流し、本大会ではグループリーグ3試合に出場しましたが、イタリアやパラグアイの前にグループリーグ敗退となりました。その後の東アジア選手権の中国戦で先発出場、後半14分に先制となる代表初ゴールをマークしました。 2006年のW杯では、主力の田中誠が負傷したため本大会メンバーに追加招集され、初戦のオーストラリア戦で坪井の負傷交代でピッチに立ちます。しかし相手の強力な攻撃陣を抑えられず、以降ピッチに立つことはありませんでした。 代表記録 2006年9月28日:新規アップ 2019年1月29日更新 |