望月 重良(Shigeyoshi MOCHIZUKI)
フルネーム 望月 重良(モチヅキ シゲヨシ)
国籍 日本  
出身地 静岡県静岡市
生年月日 1973・7・9
身長 176cm
体重 73kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1997・6・25
ネパール戦
代表背番号
W杯メンバー  
ニックネーム シゲ
個人タイトル  
チームタイトル 99/00天皇杯
00AFCアジアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96 名古屋グランパス 26
97 名古屋グランパス 9 17
98 名古屋グランパス 9 34
99 名古屋グランパス 9 29
00 名古屋グランパス 9 13
00 京都サンガ 8
01 ヴィッセル神戸 10 24
02 ヴィッセル神戸 10 25
03 ジェフ市原 11
03 ベガルタ仙台 33 14
04 ジェフ市原 10
05 横浜FC(J2) 33
06 横浜FC(J2) 22
抜群のキープ力でボールを落ち着かせて攻撃の起点となります。試合に緩急をつけられゲームメイクからフィニッシュまでこなせます。トップ下を好みますが、守備的MFや右サイドでもプレーできるユーティリティプレーヤーです。

サッカーの盛んな静岡市に生まれ、地元庵原小のサッカーチームに入部します。庵原中から強豪清水商に入学して藤田俊哉や名波浩と出会います。そしてユース選手権などのタイトルを獲得して脚光を浴びました。大学も2人の後を追うように筑波大へ進学しました。
1996年に名古屋に入団。ヴェンゲル監督にレギュラーに抜擢され、3月16日平塚(現湘南)との開幕戦でのJデビューをゴールで飾りました。自身憧れのストイコヴィッチと2トップを組むこともあるなど5ゴールを挙げ、リーグ2位に躍進しました。
2年目はケガで17試合に終わりましたが、復帰以降もチームは優勝争いに絡み、岡山哲、浅野、山口素らとポジション争いを繰り広げます。99/00シーズンには天皇杯を制しましたが、2000年7月にJ・カルロス監督と衝突、DF大岩、MF平野と共に戦力外通告を受けました。
01シーズンに神戸へ移籍し、同時に入団した元鹿島のMFサントス、岡野、カズらと共に活躍。2年間レギュラーとしてプレーし、チームのJ1残留に貢献しました。
その後移籍を繰り返し、05シーズンに加入した横浜FCでは2年目の途中に病気を患い退団。そのまま現役を退いて解説者に転身しています。
J1リーグ:198試合18得点 J2リーグ:2試合

大学時代の1995年にユニバーシアードで優勝します。フル代表デビューは1998年W杯予選となる1997年6月25日ネパール戦で、本田泰に代わってピッチに入りました。しかし山口や名波が不動の地位を築いていたため本大会出場はなりませんでした。
トルシエ監督就任後、2000年にレバノンで行われたアジア杯に出場、決勝のサウジアラビア戦でゴールを挙げて日本の2大会ぶりの優勝に大きく貢献しました。
代表記録 14試合1得点
2006年12月26日:新規アップ 2012年3月17日更新