フルネーム ヘンリク・ムヒタリアン
国籍 アルメニア  
出身地 イェレヴァン
生年月日 1989・1・21
身長 178cm
体重 72kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2007・1・14
パナマ戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 09,11,12アルメニア年間最優秀選手
12ウクライナリーグ年間最優秀選手
12/13ウクライナリーグ得点王
チームタイトル 06〜09アルメニアリーグ
09アルメニアカップ
10/11〜12/13ウクライナリーグ
10/11〜12/13ウクライナカップ
16/17イングランドリーグ・カップ
16/17UEFAヨーロッパリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06 ピュニク 22 12
07 ピュニク 22 24 12
08 ピュニク 22 24
09 ピュニク 22 10 11
09/10 メタルルフ・ドネツク(ウクライナ) 22 29
10/11 メタルルフ・ドネツク(ウクライナ) 22
10/11 シャフタール・ドネツク(ウクライナ) 22 17
11/12 シャフタール・ドネツク(ウクライナ) 22 26 10
12/13 シャフタール・ドネツク(ウクライナ) 22 29 25
13/14 ドルトムント(ドイツ) 10 31
14/15 ドルトムント(ドイツ) 10 28
15/16 ドルトムント(ドイツ) 10 31 11
16/17 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 22 24
17/18 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 22 15
17/18 アーセナル(イングランド) 7 11
18/19 アーセナル(イングランド) 7 25
19/20 ローマ(イタリア)    
安定したキープと広い視野からの鋭いパス、スペースメーク、効果的なドリブルでチャンスを生み、自らもFKやミドルなど得点力を兼ね備えたアルメニアの至宝です。

プロ選手である父ハムレットの移籍の都合により幼少期をフランスで過ごします。自身が7歳の時に父が脳腫瘍で33歳の若さで亡くなったのは不運でしたが、その遺志を引き継いで10年後に母国ピュニクでキャリアをスタートさせ、2年目に12得点と頭角を現します。
自身の活躍もあり国内リーグを4連覇してメタルルフ・Dに移ります。2009年7月19日ドニプロ戦でウクライナリーグにデビューし、1年目から29試合に出場、D・キエフ戦の同点弾など9得点と好成績を残し、ブルガリア代表ディミトロフらとチームの中心となりました。
2年目にはクラブ史上最年少の21歳で腕章を託され、開幕して8試合3得点の成績を残してシャフタール・Dに引き抜かれます。ウィリアン、ジャヂソン、フェルナンヂーニョといったブラジル人などとのコンビネーションでスーパー杯を含めた国内3冠に貢献しました。
2年目も国内カップ決勝で古巣メタルルフ・Dを下すなど2冠の連覇を達成、自身は3度目の2ケタ得点を達成して国内リーグMVPやファン投票によるクラブMVPに輝きます。3年目も国内スーパー杯で2得点2アシストでA・キエフを圧倒すると、国内リーグでもコルノモレツ戦でハットトリックを決めるなど得点王に輝きました。チャンピオンズ・リーグでもノアシェラン戦で2得点を挙げ、王者チェルシーをかわしてクラブ初のグループリーグ突破に貢献しました。
13/14シーズンにドルトムントへ移籍。8月18日ブラウンシュヴァイク戦でブンデスリーガにデビューすると、フランクフルト戦やブレーメン戦での1試合2得点、終盤のバイエルン戦での得点、ルールダービーでの2アシストなど9得点10アシストと、レヴァンドフスキ、オーバメヤン、ロイスと破壊力ある攻撃を披露。チャンピオンズ・リーグでもアーセナルやゼニトといった常連から得点を奪ってベスト8と、多額の移籍金と10番を用意してくれたクラブに報いました。
2年目は香川の復帰でサイドに移るも開幕1ヶ月後にケガで離脱し、復帰後もルールダービーで点を取るまで決定的な仕事ができませんでした。成績不振によるクロップ監督退任発表の後は香川との相互関係を見せてチームをヨーロッパリーグ圏内に押し上げました。3年目はリーグで11得点15アシスト、カップで5得点2アシスト、ヨーロッパリーグではクロップ監督率いるリヴァプール戦など3得点7アシストと各コンペティションで出色の働きを見せました。
16/17シーズンにマンチェスター・Uに引き抜かれ、8月14日ボーンマスとの開幕戦でプレミアデビュー。トッテナム戦で決勝弾を挙げ、王者レスターに1得点1アシストしました。また、ヨーロッパリーグではアヤックスとの決勝など6得点を挙げて初優勝に貢献しました。
2年目は開幕3戦で5アシストと好スタートを切りますが、冬にA・サンチェスと入れ替わる形でアーセナルへ移ります。2試合目のエヴァートン戦で3アシスト、マンチェスター・U戦で同点弾を挙げました。ヨーロッパリーグでもミラン戦で得点を挙げました。
2年目はチェルシー戦での1得点1アシストも敗戦しますが、その後サウサンプトンとボーンマスの2試合で2得点3アシストしました。
19/20シーズンにローマへレンタル移籍しています。

U−17から各年代で実績を作り、18歳の誕生日を1週間後に控えた2007年1月14日パナマ戦でフル代表デビュー。2010年W杯予選は6試合で1得点を挙げます。
2012年欧州選手権予選では9試合戦いスロヴァキア戦など5得点と大活躍しますが、敗退しました。2014年W杯予選ではイタリア相手に一矢報いました。
2016年欧州選手権予選は7試合で無得点、チームも最下位で終わりました。2018年W杯予選は7試合で2得点を挙げるものの、デンマークやポーランドの前に敗退しました。
18/19ネーションズリーグは、マケドニア戦など1得点4アシストしました。
代表記録

※:ヘンリク・ムヒタリアン(Henrik MKHITARYAN)
2014年9月24日:新規アップ 2019年9月4日更新