水沼 貴史(Takashi MIZUNUMA)
フルネーム 水沼 貴史(ミズヌマ タカシ)
国籍 日本  
出身地 埼玉県さいたま市
生年月日 1960・5・28
身長 171cm
体重 61kg
利き足
ポジション FW(RWG)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 1984・4・18
マレーシア戦
代表背番号 9 12
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 84,86/87,87/88,88/89日本サッカーリーグベストイレブン
86/87日本サッカーリーグアシスト王(17アシスト)
チームタイトル 83,85,88,89,91天皇杯
88/89,89/90日本サッカーリーグ
88,89,90JSLカップ
91/92アジアカップウィナーズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
83 日産自動車(JSL1部) 12
84 日産自動車(JSL1部) 17
85 日産自動車(JSL1部) 22
86/87 日産自動車(JSL1部) 22
87/88 日産自動車(JSL1部) 22
88/89 日産自動車(JSL1部) 20
89/90 日産自動車(JSL1部) 16
90/91 日産自動車(JSL1部) 10
91/92 日産自動車(JSL1部) 20
92 横浜マリノス    
93 横浜マリノス 26
94 横浜マリノス 15
95 横浜マリノス
日本屈指の技巧派ドリブラー。トリッキーかつスピーディなフェイントでDFを抜き去り、創造性あふれるパスを繰り出してゴールチャンスを演出します。戦術眼もあり、試合に緩急をつけることができます。また、ボレーシュートの巧さにも定評があります。

サッカーのさかんな浦和に生まれます。自然とボールに親しみ、小学生の時に所属した本太少年団で、本太中学3年時、浦和南高と各年代で全国制覇を果たしました。
高校卒業後に法大に進学します。関東リーグ優勝や総理大臣杯連覇など結果を残し、主将に就任した4年次では自らのゴールで1部復帰を決めるなど、印象深い活躍を見せたのです。
1983年に日産(現横浜FM)に入社すると加茂監督に出場機会を与えられます。先輩である金田、木村らと共に攻撃の重責を担って天皇杯を制したのを皮切りに、86/87シーズンはアシスト王(歴代最多)に輝き、3冠(リーグ、天皇杯、JSL杯)連覇を果たすなど、クラブの黄金時代の一員となりました。91/92シーズンには、2回目の開催であるカップウィナーズ杯と国際タイトルも獲得しました。
人気、実力ともに日本で最高峰となり、1993年5月15日のJリーグ開幕戦となるV川崎(現東京V)戦で先発出場すると、ディアスの決勝ゴールを呼び込むシュートを放ち、歴史的な勝利に貢献。11月17日G大阪戦でプロ初ゴールを奪いました。
しかし年齢的にピークを過ぎていたためコンディション調整が困難となり、山田隆の台頭もあったため出場機会が減少、1995年を最後にユニフォームを脱ぎました。
その後は解説者や指導者として活躍しています。
JSL1部 161試合33得点 J1リーグ 42試合5得点

日本で開催された1979年Wユースに柱谷幸らと共に3試合出場。グループリーグで敗退したものの、3試合目のメキシコ戦でチーム唯一のゴールを挙げました。
フル代表デビューはロサンゼルス五輪予選の1984年4月18日マレーシア戦。予選はふがいない結果となりましたが、自身代表4試合目となる9月30日の日韓定期戦でゴールを決め、韓国とのアウェーゲーム初勝利という歴史的快挙を果たしたのです。
1986年W杯予選はレギュラーとして5試合出場しますが、ムルデカ大会やアジア大会では代表に招集されませんでした。ソウル五輪予選で代表復帰し、アウェーのシンガポール戦やホームのタイ戦でゴールを決めましたが、本大会出場を逃しました。
1990年W杯予選に臨み、1989年6月4日のホーム北朝鮮戦では74分にボレーシュートを決めて勝利に貢献。2試合戦いましたが突破はなりませんでした。
代表記録 32試合7得点

余談
・横浜FMなどで活躍しているMF水沼宏太の父親です。
2009年3月7日:新規アップ 2012年3月8日更新