ジェームズ・ミルナー(James MILNER)
フルネーム ジェームズ・ミルナー
国籍 イングランド
出身地 リーズ
生年月日 1986・1・4
身長 176cm
体重 70kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2009・8・12
オランダ戦
代表背番号 4 16 17
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 09/10イングランド年間最優秀若手選手(PFA)
09/10プレミアリーグベストイレブン(PFA)
チームタイトル 10/11FAカップ
11/12,13/14プレミアリーグ
18/19UEFAチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 リーズ 38 18
03/04 リーズ 38 30
04/05 ニューカッスル 16 25
05/06 ニューカッスル 16
05/06 アストン・ヴィラ 11 27
06/07 ニューカッスル 16 35
07/08 ニューカッスル 16 29
08/09 アストン・ヴィラ 8 36
09/10 アストン・ヴィラ 8 36
10/11 マンチェスター・シティ 7 32
11/12 マンチェスター・シティ 7 26
12/13 マンチェスター・シティ 7 26
13/14 マンチェスター・シティ 7 31
14/15 マンチェスター・シティ 7 32
15/16 リヴァプール 7 28
16/17 リヴァプール 7 36
17/18 リヴァプール 7 32
18/19 リヴァプール 7 31
19/20 リヴァプール 7    
中盤のあらゆる位置に適応し、両足を使うテクニックでの意外性と速さを兼備したドリブル、アーリークロスが特長。しかしその攻撃センスに溺れることなく、衰えない闘争心で90分間ハードワークを続ける献身的な姿勢が何よりの長所です。

リーズ西部ホースファースに生まれます。両親がシーズンチケットを購入していたほどのリーズサポーターだったこともあり、自身もこの影響を受けてエランド・ロードに足しげく通い、オランダ代表FWハッセルバインクらの活躍を観て育ちました。
憧れのクラブの下部組織に10歳から所属し、弱冠16歳で迎えた2002年11月10日ウェストハム戦にて、16歳309日という史上2番目の若さでプレミアデビューします(最年少は1999年にコヴェントリーでアストン・ヴィラ戦に出場したG・マクシェフリィの16歳198日)。
そしてボクシングデーのサンダーランド戦で初得点を挙げ、16歳357日というルーニーの記録を3日塗り替えました(その後G・ヴォーンに更新されています)。勢いに乗り2日後のチェルシー戦でも得点を挙げて勝利に貢献、相手のラニエリ監督からベテランのような落ち着きであると称賛を浴び、GKロビンソンやFWスミスと共に将来を嘱望される存在になります。
2年目は30試合に出場するもクラブが2部に降格し、財政難に陥っていたためニューカッスルへ5年契約で加入。バックアッパーとしての役割がほとんどでしたが25試合に出場、UEFA杯でも12試合プレーしベスト8に進出するなど、ロブソン、スーネス、ローダー、アラダイスと4人の監督に重用されました。05/06シーズンに一度アストン・ヴィラにレンタル移籍しました。
06/07シーズンに復帰してスタメンを2年間張った後、再びアストン・ヴィラに移籍します。オニール監督の下、ヤング、バリー、アグボンラホルらと共にビッグ4を脅かし、3年連続でUEFA杯出場権を獲得します。09/10シーズンはリーグで36試合7得点でプレミア最優秀若手選手とベスト11に選ばれ、ヨーロッパリーグで1点、リーグ杯で4点と得点力も見せました。
W杯での活躍もあり、翌シーズンにS・アイルランドとのトレードでマンチェスター・Cへ移籍。同時に入団したシルヴァとサイドからの推進力となり、チャンピオンズ・リーグ出場権を獲得。FA杯でもレスター戦で2点に絡む活躍などクラブ42年ぶりの優勝に貢献しました。
2年目はナスリの加入があり、ターンオーバーで重要な存在になります。特にマンチェスター・ダービーでは2アシストして6-1と大勝するなど、プレミアを制しました。
センターや右SBと複数のポジションで精力的に動き、4年目は覇権を奪還。チャンピオンズ・リーグでも王者バイエルンから1ゴール1アシストしてアウェーで勝利し、決勝トーナメントに進みました。5年目は加入以来最高の成績を残しましたが、契約が満了しました。
リヴァプールへフリーで移籍して好調を維持すると、2年目は手薄な左SBおよびPKキッカーとしてフル稼働し、チャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。3年目のチャンピオンズ・リーグではS・モスクワ戦など8アシストしてチームを決勝に導きました。
4年目は3つのPK含む5得点4アシストと結果を残します。チャンピオンズ・リーグではPSG、ナポリ、バイエルンに決定的な仕事をしてビッグイヤーを手にしました。

U-16より結果を出して2003年Wユースにも出場しましたが、グループリーグで敗退します。4年後のU-21欧州選手権に出場し、準決勝オランダ戦では13-12という壮絶なPK戦となります。自身は2度の機会を確実に決めましたが、実らず敗れました。
2年後の同大会ではグループリーグのスペイン戦で得点を決めます。準決勝スウェーデン戦ではPK戦となり、1番手のキッカーとして臨むも失敗、しかし相手が2度ミスしたためことなきを得ます。しかし決勝でエジルらの得点でドイツに敗れ、またもタイトルを逃しました。18歳の時からプレーしていたU-21でのキャップ数は歴代最多の46となりました。
フル代表デビューは8月12日オランダとの親善試合。2010年W杯予選で3試合に出場。本大会でもスロヴェニア戦でデフォーの決勝点を演出するなど3試合に出ました。
2012年欧州選手権予選では6試合でしたが、本戦に入り4試合先発出場と右サイドのレギュラーを獲得しました。2014年W杯予選はジェラードと並びMF最多の8試合に出場しましたが、スターリングの台頭で本戦では控えとなり3試合目のみの出場になりました。
2016年欧州選手権では6試合ピッチに立ち、本戦はロシア戦に出ました。
代表記録

2011年11月25日:新規アップ 2019年8月31日更新