ディエゴ・ミリート(Diego MILITO)
フルネーム ディエゴ・アルベルト・ミリート
国籍 アルゼンチン
出身地 ベルナル
生年月日 1979・6・12
身長 183cm
体重 78kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2003・1・31
ホンジュラス戦
代表背番号 9 19
W杯メンバー 10年
ニックネーム プリンシペ
個人タイトル 09/10UEFA最優秀選手
09/10UEFA最優秀FW
チームタイトル 01アルゼンチン前期リーグ
14アルゼンチンリーグ
09/10セリエA
09/10,10/11コッパ・イタリア
09/10UEFAチャンピオンズ・リーグ
10FIFAクラブワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 ラシン・クラブ 11
00/01 ラシン・クラブ 35
01/02 ラシン・クラブ 38
02/03 ラシン・クラブ 35 14
03/04 ラシン・クラブ 18
03/04 ジェノア(イタリア2部) 9 20 12
04/05 ジェノア(イタリア2部) 9 39 21
05/06 サラゴサ(スペイン) 22 36 15
06/07 サラゴサ(スペイン) 22 37 23
07/08 サラゴサ(スペイン) 22 35 15
08/09 ジェノア(イタリア) 22 31 24
09/10 インテル(イタリア) 22 35 22
10/11 インテル(イタリア) 22 23
11/12 インテル(イタリア) 22 33 24
12/13 インテル(イタリア) 22 20
13/14 インテル(イタリア) 22 17
14 ラシン・クラブ 22 17
15 ラシン・クラブ 22 20
16 ラシン・クラブ 22 13
抜群の瞬発力で相手ラインの裏を取り、ワンタッチでシュートに持ち込みます。ヘディングも力強く、同郷の先輩バティストゥータと比較されることがあります。
また、シーズンを通して活躍できる安定感も魅力。代表DFガブリエルは実弟です。

首都ブエノスアイレス市内のベルナルに生まれ、弟が所属するインデペンディエンテのライバル、ラシン・Cの下部組織に入ります。家族はインデペンディエンテのサポーターでしたが、自身は特に思い入れはなく、単に家から近かったからという理由で入団しました。そして1999年にトップ昇格すると、2001年には35年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
03/04シーズン途中にセリエBジェノアへ移籍します。そして2シーズンで59試合33得点と見事な成績を残して昇格に貢献しましたが、不正行為が発覚したためクラブは降格、新天地を求めてサラゴサへ移籍し、キャリアで初めて弟とチームメートとなります。
2005年9月11日バレンシア戦でリーガデビューすると、バルサとR・マドリーの双方から点を取るなど、2トップを組むエヴェルトンをしのぐチーム最多の15得点をマーク、国内カップでも準決勝R・マドリー相手に4得点を決めるなど、イタリア時代の好調を持続させました。
翌06/07シーズンも同胞であるアイマール、ダレッサンドロといった良質なパサーの同時入団という環境もあり量産体勢に入ります。3度の1試合2得点などファン・ニステルローイに次ぐリーグ2位の23得点を挙げてクラブを6位に引き上げ、UEFA杯出場権を獲得しました。
07/08シーズンからバルセロナに去った弟からキャプテンマークを引き継ぎます。中盤に固め取りしましたが不安定なチーム状態であり終盤は振るわず、2部降格となりました。
これに伴い古巣ジェノアへ復帰します。2008年9月14日ミラン戦では1得点1アシストとセリエAデビューを鮮烈なものにすると、その後ローマ戦での2点など3試合連続得点、さらにレッジーナ戦やサンプドリア戦ではハットトリックを記録するなど、ボローニャのディ・ヴァイオと並ぶリーグ2位タイの24得点を挙げてリーグ5位とチーム躍進の立役者となり、同僚のMFモッタとともにインテルへ移籍。30歳にして初のビッグクラブ挑戦となります。
同時加入のエトーの存在がありながら1トップを任され、コッパ・イタリア決勝ローマ戦、シエナとのリーグ戦、チャンピオンズ・リーグでも決勝バイエルン戦での2点と、優勝を決める決勝点をすべて叩き出し、イタリア初の3冠に多大なる役割を果たします。2年目はクラブW杯準決勝で1得点2アシストで優勝に貢献、リーグでもナポリ、カターニャと最終局面での2節連続アシストを見せます。得点数自体は減りましたが、チャンピオンズ・リーグでシャルケ相手に一矢報い、コッパ・イタリアでは終了間際の出場からダメ押し点を奪うなど、要所で印象を残しました。
3年目は開幕パレルモ戦で2点を挙げるも敗戦、2度の監督交代でチームは低迷しますが、個人的にははミラノダービーで4得点(アウェーで1点、ホームでハットトリック)して連勝の原動力になり、パレルモ戦で1試合4得点、ジェノア戦でのハットトリックなど、得点王になったイブラに次ぐリーグ2位の24得点とさすがの決定力を見せ、ヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。翌シーズンはその大会で負傷し、国内リーグでのチーム低迷の要因となりました。
その後11年ぶりにラシンへ戻り、2年目はリベルタドーレスで4得点を挙げます。リーグ戦でもまずまずの結果を残し、16シーズンを最後に引退しました。

2003年1月31日ホンジュラス戦で代表デビュー。層の厚い代表FW陣の競争に勝てない状況が続きましたが、2007年コパ・アメリカに出場して準優勝になりました。
インテルでの活躍により2010年W杯予選では中盤以降招集され、6試合に出場。本大会でもメンバーに入って2試合プレーしています。
代表記録 25試合4得点

2007年12月3日:新規アップ 2016年6月17日更新