ファブリツィオ・ミッコリ(Fabrizio MICCOLI)
フルネーム ファブリツィオ・ミッコリ
国籍 イタリア
出身地 ナルド
生年月日 1979・6・27
身長 168cm
体重 64kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2003・2・12
ポルトガル戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95/96 カザラーノ(3部)
96/97 カザラーノ(3部) 29
97/98 カザラーノ(3部) 30 11
98/99 テルナーナ(2部) 30
99/00 テルナーナ(2部) 33
00/01 テルナーナ(2部) 23
01/02 テルナーナ(2部) 34 15
02/03 ペルージャ 10 34
03/04 ユヴェントス 9 25
04/05 フィオレンティーナ 11 35 12
05/06 ベンフィカ(ポルトガル) 30 17
06/07 ベンフィカ(ポルトガル) 30 22 10
07/08 パレルモ 10 22
08/09 パレルモ 10 30 14
09/10 パレルモ 10 35 19
10/11 パレルモ 10 21
11/12 パレルモ 10 28 16
12/13 パレルモ 10 29
13/14 レッチェ(3部) 10 24 13
14/15 レッチェ(3部) 10 17
15/16 ビルキルカラ(マルタ) 10 11
小柄ですが、スピードのあるドリブル突破と高い決定力があります。1,5列目のポジションが持ち場で、正確なパスやシュートで相手ディフェンス陣を困惑させます。

96/97シーズンにセリエC1カザラーノでトップデビューして29試合で8得点の成績を残します。その後98/99シーズンよりBのテルナーナと4年契約を結び、01/02シーズンには15得点と目覚ましい活躍を見せてユヴェントスから引き抜かれます。
そして実戦経験を積むためペルージャへレンタルされ、2002年9月15日レッジーナとの開幕戦でセリエAデビュー。いきなり先制点を決めて名前を知らしめ、その後もローマ戦での2得点をはじめ、ホームのミラン戦、アウェーのユヴェントス戦と強者相手の得点に各メディアからの評価もうなぎ上りとなります。更にコッパ・イタリア準々決勝ではレンタル元のユヴェントスと対戦し、同点弾、決勝弾と2得点を挙げて勝利に貢献しました。
03/04シーズンにユヴェントスへ復帰します。2度の1試合2得点など厚い選手層の中で健闘しますが、無冠に終わりました。翌シーズンにはフィオレンティーナへレンタルされ、ウディネーゼやラツィオ相手の1試合2得点など35試合で12得点を挙げ、A残留に貢献しました。
05/06シーズンよりベンフィカでプレーします。チャンピオンズ・リーグではリールとリヴァプール相手に得点を挙げますが、国内リーグに適応するのに時間がかかりました。しかし2シーズン目に2ケタ得点を挙げ、チャンピオンズ・リーグで2得点、その後のUEFA杯でも1得点と各コンペティションでまんべんなく結果を残して面目躍如となりました。
07/08シーズンにセリエAに復帰。ケガにより本領発揮には至りませんでしたが、アウェーのリヴォルノ戦で2得点1アシスト、本拠ミラン戦でも得点を決めて勝利しました。
翌08/09シーズンは2得点を挙げたローマ戦以降4試合連続得点、終盤も3試合連続得点、8アシストをマーク。09/10シーズンはアウェーのインテル戦で2得点、ミラン戦では1得点で勝利に貢献します。また、ローマ、ラツィオ、ユヴェントス、リヴォルノと4試合連続で得点を決め、本拠ボローニャ戦ではハットトリック、その後のキエーヴォ戦以降5試合連続での得点とキャリア最高の成績を収めました。また、国内カップでも3試合で3得点を挙げました。
10/11シーズンは9得点だけでしたが、インテルとのアウェー戦以外の全得点でチームに勝ち点3をもたらします。国内カップでは準優勝になりました。翌シーズンはインテルとの開幕戦で2得点を挙げると、アウェーのインテル戦や本拠キエーヴォ戦でハットトリックを達成するなどリーグ6位タイの16得点、同4位タイの12アシストと盛り返しました。
その後UAEアル・ナスル移籍が取りざたされますが、破談となります。迎えた12/13シーズンはキエーヴォ戦でハットトリックを挙げるも得点数は2ケタを割り込みます。それでも後半は4戦連続アシストでローマやインテルを下すなど、イリチッチをサポートしました。
しかしチームの降格は避けられず3部レッチェへ移ります。1年目は2ケタ得点を取りますが、2年目は低調な出来に終わりました。
マルタでは、ヨーロッパリーグの予選でもウェストハム戦でゴールを決めて引き分けに持ち込みますが、PK負けを喫しました。国内では開幕から2戦連発し、11試合6得点と結果を残していたものの、途中で引退を決意しています。

2003年2月12日ポルトガルとの親善試合で代表デビューを果たしましたが、残念ながら2004年の欧州選手権には選ばれませんでした。
イタリア代表のFWのメンバー争いは激しく、2006年W杯予選も1試合出場しただけでした。
代表記録 10試合2得点

2006年4月6日:新規アップ 2015年12月18日更新