マルク・ゴンサレス(MARK GONZALEZ)
フルネーム マルク・デニス・ゴンサレス・ホフマン
国籍 チリ
出身地
生年月日 1984・7・10
身長 175cm
体重 70kg
利き足
ポジション MF(LMF)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・6・8
コスタリカ戦
代表背番号 11
W杯メンバー 10年
ニックネーム スピーディ
個人タイトル  
チームタイトル 09,12/13ロシアカップ
12/13ロシアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02 ウニベルシダ・カトリカ
03 ウニベルシダ・カトリカ 28
04 ウニベルシダ・カトリカ
04/05 アルバセテ(スペイン) 11 25
05/06 レアル・ソシエダ(スペイン) 3 16
06/07 リヴァプール(イングランド) 11 25
07/08 ベティス(スペイン) 11 23
08/09 ベティス(スペイン) 11 20
09 CSKAモスクワ(ロシア) 13
10 CSKAモスクワ(ロシア) 13 21
11/12 CSKAモスクワ(ロシア) 11
12/13 CSKAモスクワ(ロシア) 11 11
13/14 CSKAモスクワ(ロシア) 11
13/14 ウニベルシダ・カトリカ 19
14/15 ウニベルシダ・カトリカ 19 26
15/16 ウニベルシダ・カトリカ 19
16 スポルチ・レシフェ(ブラジル) 11
16/17 コロコロ 3
18 マガジャネス(2部) 11 11
19 マガジャネス(2部) 11    
味方と連動して有効なスペースを作ったり、走りこんだりと愛称が示す通りスピードに乗ったアタックが持ち味。フィジカルも強く、ゴール前の空中戦でもひけをとりません。

かつてサンティアゴ・ワンダラーズで活躍した父ラウールの下、南アフリカのダーバンで生まれます。11歳の時に家族でチリに移住、その後国内屈指の若手育成能力を誇るU・カトリカに入団し、16歳の時にトップチームデビューを果たしました。
04/05シーズンにアルバセテへ移籍し、9月12日A・マドリー戦でリーグデビュー。12月11日バルサ戦で初ゴールを挙げ、5月8日のレバンテ戦でもゴールを決めましたが、その試合で左ヒザじん帯を損傷して全治6ヶ月の診断を受けて離脱、チームも降格しました。
翌シーズンにリヴァプールへ移籍しますが、労働許可が降りませんでした。しかしクラブ首脳からの期待は大きく、R・ソシエダへレンタルされます。そしてアウェーのR・マドリー戦で引き分けに持ち込むゴールを挙げるなど随所に素晴らしいプレーを見せました。スタメンは12試合にもかかわらず5ゴールと活躍し、実力の片鱗を見せました。
R・ソシエダが買取を画策し、他のスペインのクラブも興味を示しましたが、2006年7月5日にイングランドでの労働許可が降りてリヴァプールに復帰します。チャンピオンズ・リーグ予備予選3回戦のM・ハイファ戦では後半終了間際に出場、3分後にゴールを挙げて勝利して順応性の高さを見せました。8月19日シェフィールド戦でプレミアデビューし、9月23日のトッテナム戦で初ゴールを挙げますが、1月9日のリーグ杯準々決勝アーセナル戦で負傷しました。
07/08シーズンにベティスへ移籍します。R・マドリー戦やサラゴサ戦の2ゴールで勝利に貢献するもレギュラーとしてプレーできず、2年目に降格しました。
そしてC・モスクワと5年契約を結び、2009年8月16日のL・モスクワ戦でリーグデビュー。チャンピオンズ・リーグのセビージャ戦ではホームの1stレグでゴールを挙げるなど、本田圭やドゥンビア、ヂャゴエフと共に攻撃をけん引しますが、たび重なるケガに悩まされました。
13/14シーズン途中にU・カトリカ.に戻り、2年目はコブレロア戦など8ゴール9アシストとトップフォームを取り戻しました。その後は1年ごとにクラブを変えています。

フル代表デビューは2003年6月8日のコスタリカ戦。2006年W杯予選は8試合出場しましたが、アコスタ監督との確執により21歳の若さで一旦代表から離れました。
2007年コパ・アメリカに4試合出場。2010年W杯予選は13試合に出て母国3大会ぶりの出場権を手中にしました。4試合に出た本大会はスイス戦でゴールを挙げました。
2014年W杯予選は2試合にとどまりました。
代表記録

※:ダーバン(南アフリカ)
2007年4月7日:新規アップ 2019年8月1日更新