フィリップ・メクセス(Philippe MEXES)
フルネーム フィリップ・メクセス
国籍 フランス
出身地 トゥールーズ
生年月日 1982・3・30
身長 186cm
体重 84kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2002・10・16
マルタ戦
代表背番号
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 02/03リーグアンベストイレブン(UNFP)
チームタイトル 00UEFAU−18欧州選手権
02/03フランスカップ
03FIFAコンフェデレーションズ・カップ
06/07,07/08コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 オセール 32
00/01 オセール 6 32
01/02 オセール 5 30
02/03 オセール 5 34
03/04 オセール 5 32
04/05 ローマ(イタリア) 5 28
05/06 ローマ(イタリア) 5 27
06/07 ローマ(イタリア) 5 27
07/08 ローマ(イタリア) 5 31
08/09 ローマ(イタリア) 5 29
09/10 ローマ(イタリア) 5 19
10/11 ローマ(イタリア) 5 22
11/12 ミラン(イタリア) 5 14
12/13 ミラン(イタリア) 5 25
13/14 ミラン(イタリア) 5 22
14/15 ミラン(イタリア) 5 20
15/16 ミラン(イタリア) 5
16/17    
17/18    
高さ、当たりの強さに加え、足元のテクニックや右足のフィードも正確であり、母国の名DFローラン・ブランの後継者として名前が挙がります。
ハンサムな外見ですが、気性が激しくカードをもらう場面もあります。

地元トゥールーズの下部組織で着実に成長すると共に、姉が考案したトレーニングメニューもこなしていました。1999年11月10日トロワ戦にて弱冠17歳でプロデビューを果たします。
翌00/01シーズンには早くもレギュラーを獲得し、ブームソンなどと最終ラインを堅牢なものにし、フランスフットボール誌から注目の若手選手として取り上げられました。
01/02シーズンにはリーグ3位の原動力となり、翌シーズンには国内カップを獲得。チャンピオンズ・リーグでも7試合戦い、その後UEFA杯も4試合と経験を積みました。
マンチェスター・Uやミランが獲得に動く中でローマへ移籍し、2004年9月12日フィオレンティーナ戦でセリエAにデビューします。当初こそ思うようにプレーできませんでしたが、2年目は2節連続でゴールを決め、ミランからもゴールを奪いました。4年目はキヴがインテルへ去ったためDF陣の大黒柱となります。そしてコッパ・イタリア決勝でゴールを決めて連覇に貢献、5年目は敗れはしますが、ローマダービーでゴールを決めました。チャンピオンズ・リーグでも06/07シーズンから3年連続で決勝トーナメントに進むなど欧州屈指のDFとなります。
10/11シーズンはチャンピオンズ・リーグでもゴールを挙げますが、本拠ユヴェントス戦で負傷しました。そして契約が満了し、R・マドリーのオファーを固辞してミランへ移籍します。1年目はケガもあり14試合でしたが、2年目はT・シウヴァが去った最終ラインの中心を担います。また、アンデルレヒト戦でオーバーヘッドを決め、国内リーグでも最終節シエナ戦の決勝点でチームにチャンピオンズ・リーグ出場権をもたらすなど、攻撃面でも結果を残しました。
3年目はアウェーのユヴェントス戦やサッスオーロとの最終節でレッドを受けましたが、アウェーのフィオレンティーナ戦でヘッドを決め、ホームでの雪辱を果たしました。
16/17シーズンからフリーとなっています。

2000年のU−18欧州選手権を制したあと、2001年Wユースでは5試合で1ゴールを挙げて準優勝に貢献しました。その後のU−21欧州選手権は準優勝となりました。
フル代表デビューは2002年10月16日のマルタ戦。翌年のコンフェデ杯では2試合に出場して優勝しますが、2004年欧州選手権と2006年W杯は出場を逃します。ドメネク監督の構想からも外れ、2010年W杯予選は1試合に終わり、本戦出場もなりませんでした。
その後ブラン新監督の下で約2年ぶりに代表復帰し、2012年欧州選手権予選に5試合に出場。ケガで後半は出ませんでしたが、ルクセンブルク戦で初ゴールを挙げました。本大会には3試合先発しましたが累積警告で準々決勝スペイン戦を欠場、チームも敗れました。
代表記録

2007年12月10日:新規アップ 2017年7月26日更新