ブルーノ・メツ(Bruno METSU)
フルネーム ブルーノ・ルーカス・フェリックス・メツ
国籍 フランス
出身地 ダンケルク
生年月日 1954・1・28
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1987〜92 ボーヴェ
1992〜93 リール
1993〜94 ヴァランシエンヌ
1995〜98 スダン
1998〜99 ヴァランス
1999〜99 ギニア代表
2000〜02 セネガル代表
2002〜04 アル・アイン(UAE)
2004〜05 2011〜   アル・ガラファ(カタール)
2005〜06 アル・イテハド(サウジアラビア)
2006〜08 UAE代表
2008〜   カタール代表
獲得タイトル 02/03,03/04UAEリーグ
02/03AFCチャンピオンズ・リーグ
04/05カタールリーグ
05/06カタール・シェイク・ジャシムカップ
07AFCガルフカップ
現役時代は守備的MFとして、リールやニースなど下部リーグのクラブを渡り歩きました。ベルギーのアンデルレヒトでもプレーした経験があります。

自由を重んじる放任主義と厳しいトレーニングを巧みに使い分け、戦術が浸透しにくいアフリカ大陸で卓越した組織力を形成して評価を高めた監督です。コミュニケーションを特に大事にするため選手からの信頼も厚く、モチベーターとしても有能です。
スタイルはオランダのトータル・フットボールやミランのプレッシングを取り入れ、基本的に4バックを好みますが、時宜に応じた対応を取る柔軟性があります。
ウェーブがかかった長髪がトレードマークです。

リールなど母国のクラブを渡り歩いた後1999年に初めてアフリカ大陸に降り立ちます。3ヶ月ギニア代表を率いた後、2000年からセネガル代表に就任します。
A・シセを中心としたDFラインとボランチでプレスをかけ、FWディウフやMFファディガといったタレントと共に中盤のB・ディオップの飛び出しなどでカウンターを仕掛けるスタイルを確立させます。2002年W杯予選では、アルジェリア、モロッコ、エジプトと強敵がそろう予選で4勝3分1敗の成績を残し、セネガルを初のW杯本大会出場に導きます。その後の日本とテストマッチでは2−0と快勝、2002年アフリカ選手権でも、かつての代表FWでコーチを務めるジュレ・ボガンデと共に試合後ごとに親睦会を開くなど選手との距離を深めてモチベーションを高め、エジプト、チュニジアなど強豪を撃破し決勝進出を果たしますが、ナイジェリアにPK戦で敗れました。
一度古巣スダンからオファーがあったものの断り、引き続き指揮を執ります。W杯のグループリーグ組み合わせ抽選会では、フランスと同じグループに組み込まれても全く臆する表情を見せませんでした。迎えた本大会では開幕戦でフランスと対戦、司令塔ジダンをケガで欠きながらも主導権は相手にありましたが堅守で対応、B・ディオップの先制点をを守りきりタイムアップとなって前回王者を完封するアップセットを演じます。その後のデンマークやウルグアイとも五分の戦いで決勝トーナメントに進出します。初戦はスウェーデンに先制を許すものの、H・カマラの2ゴールで勝利します。続くトルコ戦では後半終了間際にイルハンの決勝ゴールに沈み大会を終えますが、初出場ながら世界の猛者と渡り合った功績をたたえられ、セネガル国内では英雄となり名誉勲章も受賞しました。
その後UAEのアル・アインに就任し、親善試合でユヴェントスとも対戦。この際も選手のメンタルを巧みに操り1−0で勝利します。また、リーグ3連覇に加え03シーズンにはACLも制し、2007年にはザガロ、パレイラ、ホジソン、アドフォカートなど世界に名だたる監督が失敗したガルフ杯を制するなど、クラブに多くの栄光をもたらしました。
2006年よりUAEに戻って代表チームを率い、翌年のアジア杯ではグループリーグで日本と同居し1勝2敗で敗退します。その後2010年W杯3次予選でも敗退したため辞任しました。
しかしすぐにカタールに就任、W杯最終予選で再び日本の前に立ちはだかり1分1敗に終わり、4位と出場権に届きませんでした。その後カタールが2022年W杯開催国に決まり、弾みをつけるべく2011年アジア杯に臨みます。ウズベキスタンとの初戦では出鼻をくじかれますが、中国とクウェートに快勝してグループリーグを突破します。日本との準々決勝では先制し、吉田の退場後に勝ち越しますが、香川の2点に絡む活躍で逆転負けを喫しました。
その後アフ・ガラファに復帰しています。
2008年11月20日:新規アップ 2012年7月10日更新

02セネガル代表(W杯ベスト8)
  ディウフ  
H・カマラ ファディガ
ディアオ B・ディオップ
  シセ  
ダフ コリー
M・ディオップ ディアッタ
  シルヴァ