エディソン・メンデス(Edison MENDEZ)
フルネーム エディソン・ヴィセンテ・メンデス
国籍 エクアドル  
出身地 エル・チョタ
生年月日 1979・3・16
身長 175cm
体重 68kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2000・3・8
ホンジュラス戦
代表背番号 8 19
W杯メンバー 02年 06年
14年
ニックネーム ラ・ルース
個人タイトル  
チームタイトル 05エクアドル前期リーグ
06/07,07/08エールディヴィジ
09コパ・スダメリカーナ
14コロンビアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97 デポルティボ・キト 27
98 デポルティボ・キト 28
99 デポルティボ・キト 39
00 デポルティボ・キト 31
01 デポルティボ・キト 33
02 デポルティボ・キト 31
03 ナシオナル 34
03/04 イラプアト(メキシコ) 16
04/05 サントス・ラグナ(メキシコ) 8 14
05 LDUキト 22 42
06 LDUキト 22 18
06/07 PSV(オランダ) 11 26
07/08 PSV(オランダ) 8 20
08/09 PSV(オランダ) 8 28
09 LDUキト 8
10 LDUキト 8 15
10 アトレティコ・ミネイロ(ブラジル) 7
11 エメレツ・グアヤキル 10 34
12 LDUキト 11 19
13 LDUキト 11 28
14 インデペンディエンテ(コロンビア) 8
15 ナシオナル 21
スピードに乗ったドリブル突破からのアーリークロスや、無尽蔵のスタミナと高精度で強烈なミドル、正確なダイレクトプレーで存在感を示すエクアドル代表MFです。

エクアドルでも最も貧しい人たちが暮らすエル・チョタに生まれ、デポルティボ・キトの下部組織に入って成長します。当初からMFとしてプレーしていました。95/96シーズンにトップチームでデビューして計7シーズンプレー。その後メキシコのクラブにも在籍しました。
06シーズンに母国に戻った後、06/07シーズンにPSVへレンタル移籍します。チャンピオンズ・リーグでは9試合出場し、アーセナルとの決勝トーナメント初戦1stレグで決勝ゴール、2ndレグでアレックスの同点ゴールを演出してベスト8に進出しました。この活躍によって完全移籍となって臨んだ2年目は国内リーグでは定位置こそ確保できませんでしたが、2連覇を経験しました。3年目にはフォーレンダム戦で2ゴール、アヤックス戦でゴールを挙げました。
09シーズンにLDUキトに復帰し、2年目に決定力を見せてA・ミネイロに移籍。2010年8月22日サントス戦で全国選手権にデビューしますが、リカルジーニョなどの前に9試合に終わりました。エメレツでは34試合で5ゴール3アシストと役割を果たしました。
翌12シーズンにLDUに戻り、2年目には4試合連続で決定機に絡みました。14シーズンにコロンビアへ活躍の場を移すも結果を残せず、古巣ナシオナルでキャリアを終えました。

1999年の南米U−20選手権、五輪地区予選で全試合出場。ダリオ・ゴメス監督に召集され2000年3月8日のホンジュラス戦でフル代表デビューしました。
8月16日W杯予選のボリビア戦では出場機会はありませんでしたが、11月15日のベネズエラ戦に先発出場。以降は先発に定着し、2001年6月2日、アウェーのペルー戦でゴールを挙げるなど2002年W杯予選は6試合に出場して母国のW杯初出場に貢献しました。
本大会ではイタリア、メキシコ、クロアチアと同じグループに入り決勝トーナメントには進めませんでしたが、クロアチア戦ではミドルを決め、母国にW杯初勝利を捧げました。
2006年W杯予選ではスアレス監督になってベテランが招集されなくなる中、不動のサイドハーフとして15試合5ゴールの活躍で2大会連続出場を果たします。特に2004年11月17日のブラジル戦や2005年3月27日のパラグアイ戦と、強豪にも持ち味を発揮しました。本大会ではノーゴールでしたがベスト16進出を果たし、全ての試合に先発フル出場しました。
2010年W杯予選も15試合で2ゴールと引き続き主力としてプレーしましたが、3大会連続の出場権獲得はなりませんでした。翌年のコパ・アメリカも3試合に先発したものの、ブラジル、ベネズエラ、パラグアイの前に一度も勝てませんでした。
2014年W杯予選は5試合戦ってペルー戦で先制点を挙げました。本大会ではホンジュラス戦での途中出場のみに終わりました。
代表記録 112試合18得点

2006年11月24日:新規アップ 2019年7月6日更新