オロフ・メルベリ(Olof MELLBERG)
フルネーム オロフ・エリック・メルベリ
国籍 スウェーデン
出身地 ガルスパン
生年月日 1977・9・3
身長 184cm
体重 82kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2000・2.23
イタリア戦
代表背番号 2 3 14
W杯メンバー 02年 06年
ニックネーム  
個人タイトル 03スウェーデン年間最優秀選手
04UEFA欧州選手権ベストイレブン
チームタイトル 98スウェーデンリーグ
10/11,11/12ギリシャリーグ
11/12ギリシャカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96 デゲルフォルス 22
97 デゲルフォルス 25
98 AIKソルナ 25
99/00 ラシン・サンタンデール(スペイン) 5 37
00/01 ラシン・サンタンデール(スペイン) 5 36
01/02 アストン・ヴィラ(イングランド) 4 32
02/03 アストン・ヴィラ(イングランド) 4 38
03/04 アストン・ヴィラ(イングランド) 4 33
04/05 アストン・ヴィラ(イングランド) 4 30
05/06 アストン・ヴィラ(イングランド) 4 27
06/07 アストン・ヴィラ(イングランド) 4 38
07/08 アストン・ヴィラ(イングランド) 4 34
08/09 ユヴェントス(イタリア) 4 27
09/10 オリンピアコス(ギリシャ) 4 25
10/11 オリンピアコス(ギリシャ) 4 23
11/12 オリンピアコス(ギリシャ) 4 23
12/13 ビジャレアル(スペイン2部) 6 29
13/14 FCコペンハーゲン(デンマーク) 5 22
空中戦やセットプレー、タックルなど一対一を得意とする一方読みも鋭く、フィジカルと頭脳両方に優れています。リーダーシップも備え、ライン統率はもちろん後ろから味方を鼓舞します。

少年時代はテニスでも卓越した実力を披露していましたが、サッカーに進路を定めてデゲルフォルスからプレーを始めます。AIKではミャルビーらと共に国内リーグを制覇、多くのクラブからオファーが来ました。その中でスペインのラシンを選んで初の海外移籍を果たします。
周囲には同胞もなく言葉も通じず、チーム内では若手で過酷な環境でしたが、不屈の闘争心と統率力を発揮してすぐに守備の大黒柱となり、FWムニティスやサルバらのスピードを活かすカウンターの起点となりました。在籍2シーズンで73試合に出場し、レベルの高いリーグでも実力をアピールしましたが、00/01シーズンを19位でリーグを終え、2部降格となりました。
しかし弱小クラブで孤軍奮闘していた自身への評価が下がることはなく、01/02シーズンにアストン・ヴィラへ移籍し、8月26日マンチェスター・U戦でプレミアデビューします。退団したサウスゲイトの穴を埋めてサポーターの心を掴み、キャプテンも任されます。2003年にはクラブとの長期契約に合意して最終的に7シーズンと長期間プレー。タイトルこそ恵まれませんでしたが、安定した守備を見せてUEFA杯出場圏内をうかがうシーズンを過ごしました。
08/09シーズンの移籍市場でユヴェントスにフリーで移籍し、8月31日フィオレンティーナとの開幕戦でセリエAにデビュー。キエッリーニやレグロッターリエといったイタリア代表勢とコンビを組み、攻撃面でもローマの両クラブからゴールを奪いました。
しかしカンナヴァーロやカセレスの加入に伴いオリンピアコス斗3年契約を結びます。国内ではパナシナイコスに2冠を許しましたが、チャンピオンズ・リーグでは8試合プレーしてベスト16に進出します。その後国内リーグ連覇を果たし、12シーズンぶりにスペインに戻りました。
13歳下のアルゼンチン代表ムサッチョをバックアップし、セナやB・ソリアーノといったボランチとの連係で堅陣を築き、29試合に出場して1年での1部復帰を果たしました。
コペンハーゲンではチャンピオンズ・リーグに6試合出ますが、R・マドリー、ユヴェントス、ガラタサライの前にグループリーグ最下位に終わり、シーズン終了後に引退しました。

2000年2月23日、イタリアとの親善試合で代表デビュー。同年の欧州選手権メンバーにも最年少で選出され、右SBとして3試合スタメン出場する堂々たる国際大会デビューでしたが、優勝候補のイタリアや開催国のベルギーと同居し、グループリーグ敗退となります。
2002年W杯予選7試合、本大会4試合と安定した守備を見せ、イングランドとアルゼンチンという優勝候補をかわして1位でグループリーグを突破しました。
2004年の欧州選手権の予選、不調のミャルビーに代わりCBとしてもプレーし、キャプテンマークを巻くことになります。2003年9月10日のポーランドとのアウェー戦ではダメ押しゴールを挙げました。本大会では全4試合に出場します。準々決勝では互いに譲らずPK戦となりましたが、自らの失敗によりチームはオランダに敗れました。
2006年、2度目のW杯への出場に向けた予選では全10試合に先発出場。本大会でも全試合先発フル出場しました。決勝トーナメント1回戦で開催国ドイツの勢いの前に屈しました。
2008年欧州選手権予選は9試合2ゴールで出場権を得ると、本大会ではグループリーグ3試合にフル出場します。2010年W杯予選は9試合で3ゴールを挙げましたが、敗退しました。
2012年欧州選手権予選は6試合戦い自身4大会連続での出場権を獲得。本大会では3試合戦い、イングランド戦で相手のオウンゴールを誘発すると、さらにS・ラーションのFKに合わせて勝ち越しゴールを挙げるものの再び勝ち越され、グループリーグ敗退となりました。
代表記録 117試合8得点

余談
・2010年3月3日ウェールズ戦にて、代表100試合出場を達成しています。
2006年9月22日:新規アップ 2015年6月14日更新