ブライアン・マクブライド(Brian McBRIDE)
フルネーム ブライアン・マクブライド
国籍 アメリカ
出身地
生年月日 1972・6・19
身長 183cm
体重 80kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1993・3・25
ホンジュラス戦
代表背番号 20
W杯メンバー 98年 02年
06年
ニックネーム ベイク
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94/95 ヴォルフスブルク(ドイツ2部) 12
96 コロンバス・クルー 28 17
97 コロンバス・クルー 13
98 コロンバス・クルー 24 10
99 コロンバス・クルー 25
00 コロンバス・クルー 18
00/01 プレストン(イングランド2部)
01 コロンバス・クルー 15
02 コロンバス・クルー 14
02/03 エヴァートン(イングランド)
03 コロンバス・クルー 24 12
03/04 フルハム(イングランド) 8 16
04/05 フルハム(イングランド) 8 31
05/06 フルハム(イングランド) 20 38
06/07 フルハム(イングランド) 20 38
07/08 フルハム(イングランド) 20 17
08 シカゴ・ファイヤー 11
09 シカゴ・ファイヤー 20 22
10 シカゴ・ファイヤー 20 26
恵まれた身体能力を誇り、ヘディングや空中戦で強さを発揮するアメリカでは希少なターゲットマン。堅実なポストプレーでチャンスメイクしつつ、決定力も備えています。

イリノイ州アーリントン・ハイツ出身。高校時代より本格的に取り組み、1988年の州選手権で優勝しました。進学したセントルイス大でも得点記録を更新する快挙を達成しています。
大学卒業後にドイツ2部のヴォルフスブルクでキャリアがスタートさせますが、すぐに帰国します。MLSが創設された年にコロンバス・Cに入団し、いきなり17得点を挙げました。5シーズン在籍して96試合44得点の成績を残しました。
その後イングランド下部リーグのプレストンにレンタル移籍します。モイーズ監督が自身の完全移籍を画策したものの、高額な移籍金により実現はならずコロンバスへ戻りました。
2年間プレーした後モイーズ監督の要請に応じ、エヴァートンに移籍します。2003年1月12日トッテナム戦でプレミアデビューして得点も記録する上々の滑り出しを見せ、その後7試合3得点とまずまずの結果を残しました。再びコロンバスへ戻り12得点を挙げて活躍した後03/04シーズン途中にフルハムへ移籍し、日本代表MF稲本ともプレーしました。
翌04/05シーズンは、元マンチェスター・Uのアンディ・コールやエヴァートンで共にプレーしたカナダ代表ラヂンスキが加入してきましたが、両者とも自身とタイプが違うため共存に成功して31試合に出場しました。翌05/06シーズンはFW陣の中で最多出場を果たしました。
07/08シーズンを最後にイングランドを去り、母国へ帰還します。シカゴで3シーズンを過ごした後、現役生活を終えています。

アメリカB代表にてプレーし3シーズン連続で得点王になった後、1993年3月25日のコスタリカ戦でフル代表デビューしますが、地元開催となる翌年のW杯出場はなりませんでした。
1996年11月3日のグアテマラ戦で初得点を挙げ、1998年W杯予選に3試合出場、本大会でもイラン戦で得点を挙げましたが、グループリーグ敗退となりました。翌年のコンフェデ杯では5試合に出場、サウジアラビアとの3位決定戦を制する得点など通算3得点を挙げました。
2002年W杯予選はドノヴァンやムーアの陰に隠れましたが、2大会連続出場を果たし、決勝トーナメント1回戦メキシコ戦で先制点を挙げ、ベスト8進出に大きく貢献しました。また、同年のゴールド杯では準々決勝エルサルバドル戦でハットトリックを達成しています。
2006年W杯予選は6試合3得点(3試合連続)で3大会連続出場を達成。本大会も全3試合にフル出場したものの無得点に終わり、代表引退を表明しました。
2008年北京五輪では、オーバーエージ枠として全3試合に出場するものの無得点に終わり、グループリーグ敗退となっています。
代表記録 95試合30得点
※アーリントン・ハイツ
2006年12月30日:新規アップ 2012年8月11日更新