パトリック・エムボマ(Patrick MBOMA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | パトリック・エムボマ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | カメルーン | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ドゥアラ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1970・11・15 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 185cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 85kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1995・12・24 リベリア戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 10 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 02年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | 黒ヒョウ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 97Jリーグ得点王 | ||||||||||||||||||||||||||||
97Jリーグベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
00アフリカ年間最優秀選手 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 00,02アフリカネーションズ・カップ | ||||||||||||||||||||||||||||
00シドニーオリンピック金メダル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 パリ・サンジェルマン(フランス) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 パリ・サンジェルマン(フランス) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 パリ・サンジェルマン(フランス) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 シャトールー(フランス3部) | 29 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 パリ・サンジェルマン(フランス) | 8 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 メッツ(フランス) | 17 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 パリ・サンジェルマン(フランス) | 8 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97 ガンバ大阪(日本) 9 | 28 | 25 | |||||||||||||||||||||||||||
98 ガンバ大阪(日本) 9 | 6 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 カリアリ(イタリア) 9 | 13 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 カリアリ(イタリア) 9 | 27 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 パルマ(イタリア) 70 | 20 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 パルマ(イタリア) 70 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 サンダーランド(イングランド) | 9 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 アル・イテハド(リビア) | 28 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
03 東京ヴェルディ(日本) 9 | 23 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
04 東京ヴェルディ(日本) 9 | 12 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
04 ヴィッセル神戸(日本) 9 | 6 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
05 ヴィッセル神戸(日本) 9 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
しなやかな動きとヘディングでゴールを量産し、代表チームでは精神的支柱でもあるアフリカ大陸屈指のCF。日本でも「浪速の黒ヒョウ」という愛称で親しまれました。 2歳でフランスに渡ります。名門PSGに引き抜かれますが、リベリア代表ジョージ・ウェアの存在により出場機会に恵まれず、シャトールーへレンタル移籍しました。ここで29試合で17ゴールを挙げて意気揚揚とパリに戻りますが、自身の居場所はありませんでした。 そして意を決し、1997年にJリーグG大阪に移籍します。4月12日平塚(現湘南)戦でのデビュー戦をゴールで飾った時の身体能力のインパクトは今でも色あせていません。 98シーズン1stステージ第7節のホーム柏戦でハットトリックを達成すると、オールスターでもストイコヴィッチと2トップを組んでハットトリックを見せます。また、試合開始からわずか26秒でゴールを挙げるという離れ業を見せるなど、数々の印象深いプレーを残しました。J通算で28試合25ゴールと期待通りの働きを見せて得点王に輝きました。 日本のサポーターに衝撃をもたらした後、満を持してヨーロッパへ戻ってカリアリに入団。1998年9月13日インテル戦でセリエAにデビューしますが、2年間で40試合15ゴールの成績に終わります。その後チームの2部降格に伴いパルマへ移りますが実力が発揮できず、シーズン途中で移ったイングランドでも9試合でわずか1ゴールとふるいませんでした。 その後リビアのクラブを経て再び日本へ復帰。2005年に現役を引退して、カメルーンのサッカー協会でアドバイザーを務めています。 代表デビューは、1995年12月24日のリベリア戦。1998年のW杯予選は6試合で5ゴールと高い決定力を見せて出場権を獲得しました。本大会では緒戦のオーストリア戦と2戦目のイタリア戦で守備的なポジションで出場し、3戦目でようやく本来のストライカーとしてプレー。1ゴールを決めましたが、決勝トーナメントには進めませんでした。 2000年のアフリカ選手権に出場して4ゴール。同年のシドニー五輪にオーバーエージで出場して4ゴールを挙げ優勝に貢献しました。翌年のコンフェデ杯に3試合出場し、ブラジルと日本に連敗しましたが、カナダとの3戦目でゴールを挙げました。 2002年W杯予選でも6試合で5ゴールを挙げましたが、ピッチ外でのトラブルにより本戦では1ゴールでグループリーグ敗退と不本意な結果に終わりました。 2004年のアフリカ選手権では4ゴールを決め、嗅覚の健在ぶりをアピールしました。 代表通算 56試合33得点 2006年2月7日:新規アップ 2012年8月15日更新 |