リオ・マヴバ(Rio MAVUBA)
フルネーム リオ・アントニオ・ゾバ・マヴバ
国籍 フランス  
出身地  
生年月日 1984・3・8
身長 171cm
体重 64kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2004・8・18
ボスニア・H戦
代表背番号 12
W杯メンバー 14年
ニックネーム 3つの肺
個人タイトル  
チームタイトル 06/07フランスリーグ・カップ
10/11リーグアン
10/11フランスカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 ボルドー 24 20
04/05 ボルドー 24 38
05/06 ボルドー 24 37
06/07 ボルドー 24 32
07/08 ビジャレアル(スペイン) 24
07/08 リール 24 17
08/09 リール 24 36 
09/10 リール 24 35
10/11 リール 24 38
11/12 リール 24 38
12/13 リール 24 19
13/14 リール 24 33
14/15 リール 24 30
15/16 リール 24 35
16/17 リール 24 18
17/18 スパルタ・プラハ(チェコ) 24 11
18/19 アルラック・メリニャック(5部) 12
19/20 アルラック・メリニャック(5部)    
豊富なスタミナでピッチ上を駆け回り、ボール奪取能力に秀でている選手。テクニックも備えており、往年のセンターハーフ、ジャン・ティガナの再来といわれています。

1974年W杯に出場したコンゴ人の父親リッキーと、アンゴラ人の母親の間に生を受けようとしていた時、アンゴラで内戦が勃発。その時父リッキーを亡くしました。
家族は戦渦から逃れようと難民船に乗り込み国外逃亡を図ります。そして船が大西洋をさまよっている時に生まれます。そのため自身は無国籍という困難な状況でした。
結局フランスのモンドサルマンという街に漂流し、ボルドーへ。ここで落ち着いた生活が始まり、貧困から逃れるすべを見つけるべく幼少時からサッカーに没頭します。7歳でボルドーの下部組織に入り、父親譲りのセンスですぐに周囲から注目を集める存在となっていきます。
そして2004年1月10日モンペリエ戦で、ボープ監督により1部デビューしてゴールを挙げます。また、UEFA杯でも5試合に出場と若くして貴重な経験を積みました。
その後監督が頻繁に変わりますが、中盤に安定感をもたらす自身に対する信頼は揺るがず、05/06シーズンはリーグ2位と躍進し、初のチャンピオンズ・リーグ出場を果たします。ここでは5試合戦いますが、PSV、リヴァプール、ガラタサライと同居してグループリーグで敗退しました。国内ではマルセイユとのホームゲームで決勝点を演出しました。
07/08シーズンにビジャレアルへ。UEFA杯で6試合戦いAEKに1点取ったものの、2007年10月28日サラゴサ戦でデビューしたリーグ戦は5試合にとどまりました。
シーズン途中でリールへレンタルされます。初年度は相次ぐケガで精彩を欠きますが、2年目に輝きを取り戻して5位となり欧州カップに参戦します。以降ヨーロッパリーグでは2シーズン連続でそれぞれ8試合1得点、6試合に出場しました。
国内有数のアンカーとしてアザールやペドレッティ、ソウといった攻撃陣のセンスを引き出した10/11シーズンは、約半世紀ぶりのリーグとカップの2冠を達成しました。
その後スパルタ・Pと母国5部でプレーしています。

ドメネク監督がU−21代表を率いていた時に召集を受け、2004年6月のトゥーロン国際大会に出場して最優秀選手に選ばれました。
トップリーグでわずか14試合に出場していただけでしたが、U−21での活躍が評価されて2004年8月18日ボスニア・H戦で代表デビュー。2006年W杯予選は1試合出場しますが、マケレレの代表復帰により本大会のメンバーから外れました。
2012年8月に5年ぶりに代表に復帰します。2014年W杯予選は序盤の2試合だけでしたが、本大会メンバーに滑り込んで初戦に途中出場しました。
代表記録

2007年3月20日:新規アップ 2019年10月3日更新