ローター・マテウス(Lothar MATTHAUS)
フルネーム ローター・ヘルベルト・マテウス
国籍 ドイツ
出身地 エルランゲン
生年月日 1961・3・21
身長 173cm
体重 70kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1980・6・14
オランダ戦
代表背番号 8 10
W杯メンバー 82年 86年
90年 94年
98年
ニックネーム 闘将
個人タイトル 88UEFA欧州選手権ベストイレブン
90世界年間最優秀選手(ワールドサッカー誌)
90バロンドール(フランスフットボール誌)
90,99ドイツ年間最優秀選手
91世界年間最優秀選手(FIFA)
チームタイトル 80UEFA欧州選手権
84/85〜86/87,93/94,96/97,98/99,
99/00ブンデスリーガ
85/86,97/98,99/00DFBカップ
88/89セリエA
90/91,95/96UEFAカップ
90FIFAワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
79/80 ボルシアMG 28
80/81 ボルシアMG 33 10
81/82 ボルシアMG 33
82/83 ボルシアMG 34
83/84 ボルシアMG 34 11
84/85 バイエルン 33 16
85/86 バイエルン 23 10
86/87 バイエルン 34 14
87/88 バイエルン 26 17
88/89 インテル(イタリア) 32
89/90 インテル(イタリア) 25 11
90/91 インテル(イタリア) 31 19
91/92 インテル(イタリア) 27
92/93 バイエルン 28
93/94 バイエルン 33
94/95 バイエルン 16
95/96 バイエルン 10 19
96/97 バイエルン 10 28
97/98 バイエルン 10 25
98/99 バイエルン 10 24
99/00 バイエルン 10 15
00 ニューヨーク・レッドブルズ(アメリカ) 10 16
卓越したリーダーシップで劣勢でも味方を鼓舞する「ゲルマン魂」の代名詞的存在。運動量に得点力、展開力を備え、中盤の底やリベロとして守備を引き締めながらゲームを作ります。

西ドイツのエルランゲン生まれ。9歳の時にヘルゾゲナラッハでサッカーを始め、18歳でハインケス監督に見出されボルシアMGに移籍。すぐに欠かせない戦力となり、2ケタ得点を2度記録しました。そして84/85シーズンよりバイエルンでプレーすることになります。
ハイレベルな環境で得点力に磨きがかかり、毎シーズンのように2ケタ得点を挙げる活躍を見せて、リーグ3連覇に大きく貢献。さらにカップのタイトルも獲得しました。
インテルでは代表の同僚ブレーメ、クリンスマンとの「ドイツ・トライアングル」で猛威を振るい、イタリア代表DFベルゴミらと共に守備でも好プレーを見せてリーグ優勝になります。ローマとの90/91シーズンUEFA杯決勝では第一戦でPKを決め、クラブ初タイトルをもたらしました。
92/93シーズンよりバイエルンに復帰すると、カーンやショルなどクセのあるタレントをキャプテンシーでまとめます。体力的にピークを過ぎていたのでプレー範囲は狭まりましたが、豊富な経験での鋭い読みで効率的な動きを見せ、リベロとして機を見て前線にも上がりました。さらに4度のリーグ制覇、UEFA杯とドイツ杯をそれぞれ1度ずつ制して黄金時代を築きました。
しかしチャンピオンズ・リーグのタイトルを獲得することはありませんでした。86/87シーズンの決勝ではポルトに敗戦。98/99シーズンの決勝ではマンチェスター・Uと対戦し、後半にベンチに退いた後の終了間際に逆転負けを喫したのです(カンプ・ノウの悲劇)。
2000年1月にアメリカのメトロスターズで現役を引退します。その後は監督として第2のサッカー人生を歩みます。セルビア・M(現セルビア)の名門パルチザンの監督時にはチャンピオンズ・リーグで指揮を執り、ハンガリー代表では2004年4月25日の日本戦で勝利しました。
06/07シーズンにはザルツブルクで現役時代の恩師トラパットーニの右腕となり、日本代表宮本やアレックスらを擁してリーグ優勝を達成しています。

ボルシアMGで頭角を現した頃代表に招集され、1980年6月14日のオランダ戦でフル代表デビューを果たしました。同年イタリアで開催された欧州選手権にもわずかながら出場し、優勝を経験しました。2年後のW杯は2試合の出場でしたが決勝進出を決めています。
1986年W杯予選は4試合、本戦では全7試合に出場。決勝トーナメントのモロッコ戦で得点を挙げ、決勝アルゼンチン戦ではマラドーナを封じますが、別の選手に点を取られました。
やがてキャプテンに就任し、1990年W杯予選で4試合、本大会でも7試合に出場。初戦のユーゴスラヴィア戦で2得点を挙げてチームに勢いをつけると、準々決勝チェコスロヴァキア戦で確実にPKを決めるなどチーム最多得点を挙げ、アルゼンチンにも雪辱を果たして16年ぶり2度目のW杯を手中に収めました。この活躍によりDFとしてベッケンバウアーに次いで二人目のバロンドール(欧州年間最優秀選手)をはじめ、数々の個人タイトルを獲得しました。
東西統一後の1994年W杯ではリベロとして5試合プレー。準々決勝で先制のPKを決めるもののブルガリアに敗れベスト8で姿を消し、代表から離れました。
しかしリベロのザマーが負傷したためフォクツ監督からの要請を受けて復帰。1998年W杯ではキャプテンとして4試合に出場し、1歳下のGKケプケと最終ラインで存在感を示しましたが、クロアチア戦で共に最終ラインを形成するヴェアンスが退場、ベスト8にとどまりました。
1999年コンフェデ杯では3試合に出てニュージーランド戦で得点を挙げますが、ブラジルとアメリカに完敗してグループリーグで敗退、翌年欧州選手権には39歳にして出場、グループリーグで敗退しましたが、ポルトガル戦でドイツ最多の150試合出場を達成しました。
フィールドプレーヤーとしては世界で唯一5度のW杯に出場し(メキシコのGKカルバハルが5度出場)、本大会での25試合出場は史上最多です。
代表記録 150試合23得点

2007年12月23日:新規アップ 2015年8月1日更新