マルコ・マテラッツィ(Marco MATERAZZI)
フルネーム マルコ・マテラッツィ
国籍 イタリア
出身地 レッチェ
生年月日 1973・8・19
身長 193cm
体重 92kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2001・4・25
南アフリカ戦
代表背番号 23
W杯メンバー 02年 06年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 04/05.05/06,09/10コッパ・イタリア
05/06,06/07,07/08,08/09,09/10セリエA
06FIFAワールドカップ
09/10UEFAチャンピオンズ・リーグ
10FIFAクラブワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
90/91 メッシーナ
91/92 トル・ディ・キンタ    
92/93 トル・ディ・キンタ    
93/94 マルサラ 25
94/95 トラーパニ    
95/96 ペルージャ(2部)
96/97 カルピ 18
96/97 ペルージャ(2部) 14
97/98 ペルージャ(2部) 32
98/99 エヴァートン(イングランド) 27
99/00 ペルージャ 23 21
00/01 ペルージャ 23 30 12
01/02 インテル 23 23
02/03 インテル 23 20
03/04 インテル 23 14
04/05 インテル 23 26
05/06 インテル 23 22
06/07 インテル 23 28 10
07/08 インテル 23 23
08/09 インテル 23
09/10 インテル 23 12
10/11 インテル 23
スピードは無いものの対人戦と空中戦に強く、ヘッドは攻守に武器となります。正確なフィードやFK、ビルドアップと攻撃面も優れます。好戦的で、警告を受ける場面が多いのも特徴です。

ラツィオやスポルティングで監督を務めたジュゼッペ・マテラッツィを父に持ち、故郷のレッチェでキャリアをスタートさせたものの、アマチュアクラブを渡り歩くことになります。
1995年にBのペルージャへ移籍。1度カルピにレンタルに出されるものの、復帰後の1997年2月2日、23歳でインテル戦でセリエAデビューを果たします。最終的にBへ降格しましたが、翌97/98シーズンにBで4位となり、セリエA復帰を果たしました。
98/99シーズンにはクラブ初のイタリア人としてエヴァートンでもプレーしましたが、4枚ものレッドカードをもらうなど環境に適応できなかったこともあり1シーズンで終わり、ペルージャに復帰します。ここでは中田英寿ともプレーし、最後のシーズンとなった00/01シーズンにはPKキッカーを務めることも多かったため、アルゼンチン代表パサレラによるDFのシーズン最多得点(11)を更新する12得点を挙げる活躍を見せました(PKで挙げた点は7点)。
これにより、バイエルンやアーセナルなどとの争奪戦の末にインテルへ移籍します。1年目は最終節まで首位でしたがユヴェントスに逆転を許し、リーグ優勝はなりませんでした。UEFA杯ではバレンシアとの準々決勝で得点を挙げ、ベスト4進出に貢献します。
その後ガマーラ、アダーニ、カンナヴァーロなどが加入してきたため常時出場とはいきませんでしたが、ターンオーバーを敷く体制で欠かせない存在となり、04/05シーズンから国内カップを連覇しました。チャンピオンズ・リーグでは8試合に出場するもののミラノダービーを落とし、翌シーズンもビジャレアルの前に2年連続のベスト8止まりとなりました。
05/06シーズンはユヴェントスとミランのペナルティによってリーグ優勝となり、翌シーズンはアウェーのミラノダービーやローマ勢など10得点で2連覇に貢献しました。
その後は加齢によるコンディション不良が続きますが、09/10シーズンにはイタリア初の3冠を達成、国内カップとチャンピオンズ・リーグの決勝戦でピッチに立ちました。
10/11シーズン終了後にクラブとの契約を解除しています。

2001年4月25日、ホームのレナト・クーリで行われた南アフリカ戦で先発してフル代表デビューを飾ります。当時27歳でしたが、マルディーニ、ネスタ、カンナヴァーロの控えとして代表に定着。2002年W杯予選は2試合の出場のみでしたが、本大会のメンバーに選ばれました。クロアチア戦ではネスタの負傷により交代でピッチに立ちました。
2年後の欧州選手権への予選はほとんど出場しませんでしたが、本大会メンバーに選ばれるとブルガリア戦で先発出場。しかしグループリーグ突破はなりませんでした。
2006年W杯予選は6試合に出場し、2大会連続出場を決めます。本大会ではグループリーグ3戦目のチェコ戦で負傷したネスタに代わってピッチに入り、CKから頭で代表初得点を挙げると、猛攻をしのいで決勝トーナメント進出を果たしました。決勝トーナメントの1回戦のオーストラリア戦でブレッシャーノへのファールで一発退場となりますが、ドイツとの準決勝で完封勝利に貢献し、決勝のフランス戦にも先発出場。先制された後ヘディングを決めて同点に持ち込みます。延長戦でジダンを挑発し退場に追い込む事件は、大会終了後も世界各地で論争が沸き起こりましたが、試合はPK戦の末競り勝ち、24年ぶりの優勝を成し遂げました。
2008年欧州選手権予選では5試合出場、本大会でも初戦でオランダに完敗を喫して以降出場機会はありませんでした。
代表記録 41試合2得点
2006年10月28日:新規アップ 2013年9月17日更新