オバフェミ・マルティンス(Obafemi MARTINS)
フルネーム オバフェミ・アキンウンミ・マルティンス
国籍 ナイジェリア マルティンス
出身地 ラゴス
生年月日 1984・10・28
身長 176cm
体重 76kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2004・5・29
アイルランド戦
代表背番号
W杯メンバー 10年
ニックネーム オバオバ
個人タイトル 03,04アフリカ年間最優秀若手選手
チームタイトル 04/05,05/06コッパ・イタリア
11/12ロシアカップ
14USオープンカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 レッジョ・エミリア(イタリア)
01/02 インテル(イタリア)
02/03 インテル(イタリア)
03/04 インテル(イタリア) 25
04/05 インテル(イタリア) 30 31 11
05/06 インテル(イタリア) 30 28
06/07 ニューカッスル(イングランド) 9 33 11
07/08 ニューカッスル(イングランド) 9 31
08/09 ニューカッスル(イングランド) 9 24
09/10 ヴォルフスブルク(ドイツ) 11 16
10 ルビン・カザン(ロシア) 28 12
10/11 バーミンガム(イングランド) 17
11/12 ルビン・カザン(ロシア) 5
12/13 レバンテ(スペイン) 24 21
13 シアトル・ソーンダース(アメリカ) 9 20
14 シアトル・ソーンダース(アメリカ) 9 31 17
15 シアトル・ソーンダース(アメリカ) 9 21 15
16 上海申花(中国)    
一瞬のスピードのあるドリブルで相手を置き去りにし、両足から正確なシュートを放つシャドーストライカー。宙返りするゴールパフォーマンスで身体能力の高さも証明しています。

ナイジェリア代表のボランチであるサンディ・オリセーの兄によって才能を見出され、彼の経営するエデベルというサッカースクールで技術を磨きました。
15歳でイタリアへ。R・エミリアの育成組織で鍛錬を受け、やがて活躍するようになります。自身の活躍に目をつけたのが、元イタリア代表のカシラギでした。彼によりユースチームに加入してコンスタントに活躍。このシーズンのビアレッジョ国際ユース優勝に貢献しました。
02/03シーズンの10月ピアチェンツァ戦でベンチ入りし、12月4日パルマ戦でセリエAデビュー。後半戦はコンスタントに出場し、2003年5月のアタランタ戦で初ゴールを記録します。チャンピオンズ・リーグでもその活躍は目覚しく、2次予選のレヴァークーゼン戦では、ベスト8進出を決めるゴールを挙げ(18歳4ヶ月は、当時の欧州カップ戦史上最年少記録)、準決勝のミラン戦でも貴重な同点ゴールを挙げるなど、勝負どころで実力を発揮しました。
レコバやヴィエリなどワールドクラスとの激しいポジション争いを繰り広げる中、3年目はチャンピオンズ・リーグのアーセナル戦やUEFA杯のベンフィカ戦で2ゴール、国内でもミラノダービーやユヴェントスとの双方の試合といったビッグマッチで結果を残しました。
04/05シーズンにマンチーニ監督が就任すると、エースとして国内で11ゴールを稼ぎ、チャンピオンズ・リーグでも9試合で5ゴールを挙げる堂々たる数字を残します。翌シーズンの国内は1ケタ台にとどまりましたが、ミラノダービーで勝利に貢献するゴールを挙げています。
06/07シーズン、イブラヒモヴィッチやクレスポの加入により、オーウェンの長期離脱の穴埋めとしてFWを欲していたニューカッスルに約20億円で移籍。引退した英雄シアラーの背番号9を託されると、8月11日ボルトン戦で2ゴールを挙げる鮮烈デビューで期待に応えます。初年度こそ2ケタゴールを挙げ、UEFA杯でも9試合6ゴールと期待に応えましたが徐々にパフォーマンスが低下、3年目には降格の戦犯の一人となりました。
これによりプレミアを後にし、ブンデス制覇を果たしたヴォルフスブルクへ移籍します。8月15日ケルン戦でのブンデスリーガデビューをゴールで飾り、続くハンブルク戦でもゴールと好スタートを切りますが、ジェコやグラフィッチと選手層が厚く、1年でドイツを後にしました。
出場機会を求めてロシアへ移籍し、8月31日ゼニト戦でリーグデビュー、9月11日アムカル戦で初ゴールを挙げます。チャンピオンズ・リーグでも5試合に出場しました。その後バーミンガムへレンタル移籍し、カップ戦で2ゴールを決めました。R・カザン復帰後はチャンピオンズ・リーグのプレーオフでリヨンに敗退します。しかしその後のヨーロッパリーグでゴールを決めました。
12/13シーズン開幕後にレバンテへ移籍し、9月23日R・ソシエダ戦でのリーガデビューを決勝ゴールで飾ります。その後国内リーグではバレンシア相手に決勝ゴール、ヨーロッパリーグでもオリンピアコス相手に2ゴールと活躍しますが、ルビン戦を最後に退団しました。
13シーズンにシアトルに入り、3月16日ポートランド戦でMLSにデビューします。MFデンプシーと前線を張り、2年目は17ゴール12アシストで3位になり、カップ戦も制しました。3年目も15ゴールと役割を果たし、上海申花のオファーに応えています。

2003年3月29日アフリカ選手権予選のマラウィ戦に召集されますが、FIFAの定める14日前の予告がなかったため、インテル側が拒否しました。
また、「カメルーンに帰化」という憶測が飛び交う事態になったこともありましたが、2004年5月29日のアイルランド戦でデビューを果たします。2年後のアフリカ選手権では全6試合にフル出場して2ゴールを挙げて3位に入る原動力になりました。
2006年W杯予選は6試合に出場、アルジェリア戦でのハットトリックなど8ゴールを挙げましたが敗退しました。2010年W杯予選では最終節ケニア戦で途中出場から2ゴールを挙げて2大会ぶりの出場権獲得に貢献すると、本大会でも2試合に途中出場しています。
2014年W杯予選は1試合プレーしましたが、本大会メンバーには落選しました。
代表記録

2006年1月11日:新規アップ 2016年6月12日更新