※1
フルネーム クリスティアン・マンフレディーニ・シソストリ
国籍 ※2
出身地 ポールブエ
生年月日 1975・5・1
身長 180cm
体重 70kg
利き足
ポジション MF(LMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2008・11・19
イスラエル戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 08/09コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
93/94 ユヴェントス(イタリア)
94/95 ピストイエーゼ(イタリア3部) 14
95/96 ヴィテルベーゼ(イタリア4部) 32
96/97 アヴェッツァーノ(イタリア3部) 30
97/98 フェルマーナ(イタリア3部) 26
98/99 コゼンツァ(イタリア2部) 32
99/00 ジェノア(イタリア2部) 26
00/01 キエーヴォ(イタリア2部) 36
01/02 キエーヴォ(イタリア) 16 28
02/03 ラツィオ(イタリア) 16
02/03 オサスナ(スペイン) 5 11
03/04 フィオレンティーナ(イタリア2部) 11
03/04 ペルージャ(イタリア) 16 12
04/05 ラツィオ(イタリア) 17 15
05/06 ラツィオ(イタリア) 68 26
06/07 ラツィオ(イタリア) 68 25
07/08 ラツィオ(イタリア) 68 23
08/09 ラツィオ(イタリア) 68
09/10 ラツィオ(イタリア) 68
10/11 ラツィオ(イタリア) 68
11/12 サンボニファチェーゼ(イタリア4部) 11
12/13 アグローポリ(イタリア5部)
13/14 ポリスポルティヴァ・ピッチオラ(イタリア7部)    
高度なテクニックと、スピードを生かしたドリブル突破でチャンスを作るサイドアタッカー。豊富な運動量で精力的に動き、破壊力のあるミドルシュートも備えています。

コートジボワールの「シソストリ」家に生まれますが、5歳の時にイタリア人夫婦の下に養子に出され、「マンフレディーニ」と名乗るようになります。
ユヴェントスの下部組織にてデル・ピエロらと共に成長、ユースレベルでの大会で活躍したものの、トップでのプレーを実現させることはできませんでした。その後下部リーグのクラブを渡り歩くレンタル生活が続きますが、どのクラブにおいても着実に結果を出し続けました。
キャリアの転機は00/01シーズンに完全移籍となったキエーヴォ時代。デル・ネーリ監督の下、エリベルトとのサイド攻撃でチームの推進力となり、自らも7得点を挙げる活躍でクラブ創設72年目にしてセリエA昇格を果たす快挙に大きく貢献すると、01/02シーズン、8月26日フィオレンティーナとの開幕戦で自身もセリエAデビューを果たします。そしてペッロッタ、コリーニなどの献身もあり、「ミラクル・キエーヴォ」と呼ばれた快進撃の立役者となりました。
これによりラツィオへ引き抜かれたものの、セーザルの存在もありバックアッパーにとどまり、シーズン途中にオサスナへ加入しました。そしてR・マドリー戦では決勝点をたたき出してチームを勝利に導くなど復調を感じさせますが、その後はふたたびイタリアでプレーします。
ラツィオに復帰4年目の07/08シーズンは、チャンピオンズ・リーグに5試合出て1ゴールを挙げました。しかしその後は満足にプレーできず、下部で引退しています。

クラブでの目覚ましい活躍により、2001年11月にコートジボワールから代表召集要請を受けたものの、イタリア代表入りを目指していたため固辞しました。しかし、当時のイタリア代表トラパットーニ監督、後任のリッピ監督からは召集されませんでした。
2006年2月末、コートジボワールのミシェル監督からの要請を受けて同代表を選択するもデビューできず、2006年W杯メンバーにも入れませんでした。しかしその後に就任したハリルホジッチ監督に招集され、2008年11月19日のイスラエル戦でデビューしています。
代表記録 1試合

※1:クリスティアン・マンフレディーニ(Cristian MANFREDINI)
※2:コートジボワール
2010年1月29日:新規アップ 2019年7月8日更新