マンシーニ(MANCINI)
フルネーム アレッサンドロ・ファイオエ・アマンチーノ
国籍 ブラジル
出身地 ベロ・オリゾンテ
生年月日 1980・8・1
身長 183cm
体重 82kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 2004・4・28
ハンガリー戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム マンシーニ
個人タイトル 02ボーラ・ジ・プレッタ(プラカール誌)
チームタイトル 00ミナスジェライス州選手権
04CONMEBOLコパ・アメリカ
06/07,07/08コッパ・イタリア
08/09セリエA
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99 アトレティコ・ミネイロ 15
00 アトレティコ・ミネイロ 20
01 ポルトゲーザ 35
02 サン・カエターノ 10
02 アトレティコ・ミネイロ 36 15
02/03 ヴェネツィア(イタリア2部) 22 13
03/04 ローマ(イタリア) 30 33
04/05 ローマ(イタリア) 30 34
05/06 ローマ(イタリア) 30 27 12
06/07 ローマ(イタリア) 30 29
07/08 ローマ(イタリア) 30 31
08/09 インテル(イタリア) 33 20
09/10 インテル(イタリア) 30
09/10 ミラン(イタリア) 30
10/11 インテル(イタリア) 30
11 アトレティコ・ミネイロ 80 16
12 アトレティコ・ミネイロ 80
12 バイーア 10 15
14 ヴィラ・ノヴァ(4部)    
14 アメリカ・ミネイロ(2部) 10 27
15 アメリカ・ミネイロ(2部) 10 21
16 ヴィラ・ノヴァ(4部)    
17 ヴィラ・ノヴァ(4部)    
スピードに乗ったドリブル突破やオフ・ザ・ボールでスペースを突き、低くて鋭い弾道のクロスやカットインからシュートに持ち込むサイドのスペシャリストです。

少年時代は靴下を束ねたボールと廃材で作ったゴールでプレー。貧しい環境でしたが、ウディネーゼやブラジル代表で活躍したジーコを目標に掲げ、当時からプロを志向しました。
18歳の時にA・ミネイロでプロデビューすると、翌シーズンには州選手権優勝を果たします。その後2シーズン国内クラブを渡り歩き、ミネイロに復帰して2ケタゴールをマークしました。
この活躍でローマへ移籍しますが、ヴェネツィアへレンタルされます。03/04シーズンにカフーの抜けた穴を埋めるために復帰して開幕から定位置を確保し、11月9日のローマダービーではバックヒールでゴールを挙げて勝利に貢献、本拠インテル戦でも2ゴールとサポーターの心をつかむことに成功。チーム3位の8ゴールにアシストも数多く決めてリーグ2位に貢献します。翌シーズンのチャンピオンズ・リーグではグループリーグ最下位に終わりました。
05/06シーズンに就任したスパレッティ監督の下でも機能し、トッティがケガで離脱した後は4度の1試合2ゴールを挙げるなど再びセリエA2位となりました。UEFA杯でもミドルスブラとのホームゲームで2ゴールを挙げました。翌06/07シーズンのチャンピオンズ・リーグでも決勝トーナメント初戦のリヨン戦2ndレグで2ゴールを挙げてベスト8に進みました。国内カップでもミラン戦や決勝インテル戦など8試合5ゴールで優勝に貢献しました。
翌シーズンも国内ではローマダービーで1ゴール1アシストを決めます。また、チャンピオンズ・リーグでもグループリーグでマンチェスター・Uからゴールを決めると、R・マドリーとの決勝トーナメント初戦1stレグでゴールを挙げ、2シーズン連続でチームをベスト8に導くなど素晴らしい活躍を見せ、プレミアのクラブ中心にオファーが絶えない状況となりました。
そして08/09シーズンにインテル移籍が実現。モウリーニョ新監督の採用する布陣に欠かせない存在として期待されますが、ローマ時代の輝きを放てませんでした。国内外から多くのオファーがあったものの残留、しかし調子を取り戻せずミランへレンタル移籍しました。
11シーズンに古巣A・ミネイロに復帰。M・アウヴェスやドゥドゥといったJリーグ経験者に加え、2年目はロナウヂーニョとの連携も注目されます。しかし途中でバイーアに移ってクレベルソンやアメリカ代表アドゥと共に攻撃を担いました。
ここでも1年で退団し、以降は下部リーグを主戦場にしています。

2004年4月28日ハンガリー戦で代表デビュー。同年のコパ・アメリカでは2試合に出場して優勝しますが、2006年W杯のメンバーからは落選しました。
代表記録

2008年3月14日:新規アップ 2017年7月13日更新