ジャン・マクーン(Jean MAKOUN)
フルネーム ジャン・ジュニア・マクーン
国籍 カメルーン
出身地 ヤウンデ
生年月日 1983・5・29
身長 173cm
体重 69kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・11・9
日本戦
代表背番号 11
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム クリーナー
個人タイトル  
チームタイトル 11/12ギリシャリーグ
11/12ギリシャカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 リール(フランス) 17 10
03/04 リール(フランス) 17 32
04/05 リール(フランス) 17 33
05/06 リール(フランス) 17 31
06/07 リール(フランス) 17 33
07/08 リール(フランス) 17 26
08/09 リヨン(フランス) 17 35
09/10 リヨン(フランス) 17 28
10/11 リヨン(フランス) 17 13
10/11 アストン・ヴィラ(イングランド) 17
11/12 オリンピアコス(ギリシャ) 77 19
12/13 レンヌ(フランス) 15 28
13/14 レンヌ(フランス) 15 30
14/15 レンヌ(フランス) 15
15/16 アンタルヤスポル(トルコ) 17 25
16/17 アンタルヤスポル(トルコ) 17
17/18    
18/19 メリット(北キプロス)    
19/20 メリット(北キプロス)    
身体能力に優れ、豊富な運動量と的確な判断で中盤を幅広く抑える守備で「クリーナー」の異名をとります。攻撃では正確なビルドアップと攻め上がりでチャンスを広げます。
170cm前半の身長ながらセットプレーに強いのも魅力です。

J・スター、T・ヤウンデなどの母国クラブで経験を積みます。1999年U−17アフリカ選手権でのプレーが注目され、元代表GKベルの勧めもあり2001年にフランスのリールに入団します。労働ビザの取得に時間を要したため1シーズンはリザーブチームで過ごし、翌02/03シーズンにトップチームに昇格。2002年11月2日バスティア戦でリーグアンデビューします。
03/04シーズン、開幕のリヨン戦でゴールを挙げ勝利に貢献すると、以降は攻守に中盤の要となります。翌04/05シーズンはインタートト杯を勝ち上がってUEFA杯ベスト16になると同時に国内リーグでは2位となりチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得します。
チャンピオンズ・リーグではグループリーグ3位になりますが、6試合にフル出場。その後のUEFA杯では再びベスト16になりました。翌06/07シーズンは7試合に出場し、ホームAEK戦で初ゴールを奪うなど、チームの決勝トーナメント進出に貢献しました。
コンスタントな活躍が認められ、08/09シーズンにリヨンと4年契約を結び、それまでと同様背番号17を与えられます。00/01シーズンから2年間在籍し、2003年のコンフェデ杯で急逝したフォエの番号であり、大きな期待と重圧を受けての入団となりました。2年目にリーグの連覇が途切れましたが、35試合で6ゴールと自己最高の成績をおさめました。
09/10シーズンのチャンピオンズ・リーグでは、R・マドリーとの決勝トーナメント1stレグで豪快なシュートを決め、ホームでの優勝をもくろむ同クラブに引導を渡しました。
翌シーズンはアストン・ヴィラへ移り、1月25日ウィガン戦でプレミアデビューしました。11/12シーズンはギリシャで2冠を果たした後、翌シーズンにレンヌへレンタルされます。ここでは王者モンペリエからゴールを奪うなど先発に定着しますが、3年目をケガで棒に振りました。
15/16シーズンの9月12日エスキシェヒルスポル戦でトルコリーグにデビュー。フェネルバフチェ戦など3ゴールをマークしています。

2003年11月9日の日本戦でフル代表デビュー。2006年W杯予選は7試合プレーしたものの、コートジボワールの前に出場権を逸し、2008年アフリカ選手権でも決勝に進んだチームの敗戦をベンチで見届けるだけとなりました。2年後の同大会では全4試合プレーしました。
2010年W杯予選は全12試合に出場、唯一敗れたトーゴ戦でゴールを挙げ、2大会ぶりの出場権を獲ります。本戦は3試合に出ますが、グループリーグで敗退しました。
2014年W杯予選は6試合戦います。ソングやエノの存在もあってトップ下で戦い、チュニジアとのホームゲームで2ゴールを挙げます。しかしフィンケ監督就任後のシステム変更により、本大会ではブラジル戦での途中出場のみに終わりました。
代表記録

2010年3月15日:新規アップ 2019年6月29日更新