クリスティアン・マッジョ(Christian MAGGIO)
フルネーム クリスティアン・マッジョ
国籍 イタリア
出身地
生年月日 1982・2・11
身長 184cm
体重 79kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2008・11・19
ギリシャ戦
代表背番号
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 11/12,13/14コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 ヴィチェンツァ 35
01/02 ヴィチェンツァ(2部) 22 27
02/03 ヴィチェンツァ(2部) 22
03/04 フィオレンティーナ(2部) 40
04/05 フィオレンティーナ 25 13
05/06 フィオレンティーナ 25
05/06 トレヴィーゾ 30 11
06/07 サンプドリア 7 31
07/08 サンプドリア 7 29
08/09 ナポリ 11 23
09/10 ナポリ 11 34
10/11 ナポリ 11 33
11/12 ナポリ 11 33
12/13 ナポリ 11 31
13/14 ナポリ 11 22
14/15 ナポリ 11 29
15/16 ナポリ 11
16/17 ナポリ 11
17/18 ナポリ 11 13
18/19 ベネヴェント(2部) 11 16
19/20 ベネヴェント(2部) 11    
SBからWGまで右サイドの全域をカバーできるスタミナをベースに、力強い突破に決定力、アシスト力と抜群の攻撃力を誇ります。その分守備においてはもろさがあります。

2000年10月1日ミラン戦でセリエAにデビューし、6試合に出場します。チームが16位でBに降格したため、そのまま残って多くの実戦経験を積みました。
03/04シーズンにフィオレンティーナへ引き抜かれ、40試合に出てクラブ3年ぶりのセリエA昇格に貢献し、2年目はレッチェ戦で初ゴールします。その後大型補強の影響でシーズン途中にトレヴィーゾへローン移籍、11試合出場も未勝利で19位に終わり降格となりました。
サンプドリアでは2年目にマッツァーリ新監督の下で才能が開花、ベッルッチ、カッサーノに次ぐ9ゴール7アシストでクラブのUEFA杯出場権獲得に貢献しました。
08/09シーズンにデビュー時の恩師レーヤ監督率いるナポリへ。古巣フィオレンティーナ戦など4ゴールを挙げ、UEFA杯でもベンフィカからゴールを奪い勝利に貢献します。しかし3月8日ラツィオ戦で右ヒザのじん帯を痛め、23試合の出場に終わりました。
2年目の途中にサンプドリアで師事したマッツァーリ監督が就任し、1月24日リヴォルノ戦でボレーを決めるなど、自己最多の34試合に出場してUEFA杯出場権を獲得。3年目の同大会で7試合出場し、国内リーグではパレルモとのホーム戦での決勝ゴールにラツィオ戦でのアシスト、終盤にはインテルとユヴェントス相手に決定的な仕事をしてみせ、クラブにマラドーナがいた時代以来21年ぶりのチャンピオンズ・リーグ出場権獲得に貢献しました。
翌シーズンの同大会では、マンチェスター・C戦でカバーニをアシストするなど7試合出場。バイエルン、ビジャレアルと同居する激戦区を2位で通過し、決勝トーナメントではチェルシーに敗れたものの、1stレグで勝利するなど優勝するチームに健闘。国内リーグでもインテル、ウディネーゼ相手のゴールに、ミランやユヴェントス相手のアシストと上位陣相手に活躍してヨーロッパリーグ出場権を獲得。また、自身初タイトルとなる国内カップ制覇を果たしました。
12/13シーズンはリーグ中盤に3試合連続ゴールを挙げて2位になりました。15/16シーズン以降はアルバニア代表ヒサイの控えを務めました。
18/19シーズンに2部ベネヴェントへ新天地を求めています。

U−18から各年代を経験した後、2008年11月19日ギリシャ戦でフル代表デビュー。クラブでの活躍によって2010年W杯メンバーに入り、スロヴァキア戦でプレーしました。
2012年欧州選手権予選は4試合、本大会も3試合戦いますが、バルザレッティやアバーテといった後進の突き上げもあり、準決勝以降はベンチを温めました。
2013年コンフェデ杯は4試合出場。2014年W杯予選も4試合しますが、アバーテ、ダルミアン、デ・シリオと後進の台頭もあって本大会メンバーには残れませんでした。
代表記録

※:モンテッキオ・マッジョーレ
2012年5月27日:新規アップ 2019年8月25日更新