オレグ・ルズニー(Oleg LUZHNY) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | オレグ・ルズニー | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ウクライナ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | リヴィウ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1968・8・5 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 182cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(RSB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1995・3・25 クロアチア戦 |
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代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 90ウクライナリーグ年間最優秀若手選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 89/90ソ連リーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
89/90ソ連カップ | |||||||||||||||||||||||||||||
90U−21欧州選手権 | |||||||||||||||||||||||||||||
92/93,93/94,94/95,95/96,96/97, 97/98,98/99ウクライナリーグ |
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92/93,95/96,97/98,98/99ウクライナカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
01/02プレミアリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
01/02,02/03FAカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 カルパーティ・リヴィウ | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 ディナモ・キエフ | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 ディナモ・キエフ | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 ディナモ・キエフ | 28 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 ディナモ・キエフ | 26 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 ディナモ・キエフ | 34 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 ディナモ・キエフ | 24 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 ディナモ・キエフ | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ディナモ・キエフ | 28 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ディナモ・キエフ | 16 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ディナモ・キエフ 2 | 21 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 アーセナル(イングランド) 22 | 21 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 アーセナル(イングランド) 22 | 19 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 アーセナル(イングランド) 22 | 18 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 アーセナル(イングランド) 22 | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ウォルヴァーハンプトン(イングランド) 22 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ヴェンタ | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
カバーリングと機動力に優れ、中央と右でプレーします。ウクライナ代表の守備の重鎮であり、D・キエフ時代は多くの栄冠を勝ち取りました。 地元クラブを渡り歩いた後、強豪D・キエフへ引き抜かれます。右SBとしてレギュラーの座を掴んでロシア代表MFカンチェルスキスと縦の連係を築いて右サイドで主導権を握ります。そしてリーグ2冠を果たし、最優秀若手選手にも選ばれました。 以降キャプテンに就任し、GKショフコフスキやシェフチェンコら生え抜きの選手と共に国内リーグを7連覇します。また、97/98シーズンのチャンピオンズ・リーグのグループリーグでは、バルセロナ相手に2戦合計7−0と圧倒して首位通過を果たしました。 翌シーズンもグループリーグを首位で通過して準決勝に進出する躍進を遂げ、このとき対戦したアーセナルに引き抜かれます。しかし「フェイマス・フォー」の一人であるイングランド代表ディクソンの壁は厚く、さらに若手のカメルーン代表ローレンの加入もあり、扱いはバックアッパーの域を出ませんでした。それでも4シーズン在籍して75試合に出場しました。 その後プレミアに昇格したウルヴズへ移籍しますが、わずか6試合の出場にとどまり、母国ヴェンタでプレーして引退しました。その後は指導者として古巣D・キエフなどを率いています。 1989年にソ連代表として二十歳でフル代表デビュー。1990年W杯予選は4試合出場しましたが、本戦への切符をつかめませんでした。 その後ソ連の分離解体により、1995年3月25日クロアチア戦でウクライナ代表デビューを果たします。シェフチェンコが台頭してきた1998年W杯予選は6試合、2002年W杯予選も10試合と中心的存在でしたが、本大会出場はなりませんでした。 それでも11年間活躍し39試合でキャプテンを務め、代表史上屈指のDFとして君臨しました。 代表記録(ウクライナ) 52試合 代表記録(ソ連) 8試合 2008年12月4日:新規アップ 2014年7月15日更新 |