ディエゴ・ルガノ(Diego LUGANO)
フルネーム ディエゴ・アルフレッド・ルガノ・モレーノ
国籍 ウルグアイ※
出身地 カネロネス
生年月日 1980・11・2
身長 188cm
体重 84kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2003・2・4
イラン戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム ラ・トタ
個人タイトル  
チームタイトル 00ウルグアイリーグ
05サンパウロ州選手権
05コパ・リベルタドーレス
05FIFAクラブ世界選手権
06/07,10/11トルコリーグ
11CONMEBOLコパ・アメリカ
15パラグアイリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99 ナシオナル・モンテビデオ
00 ナシオナル・モンテビデオ
01 プラザ・コロニア 12
02 プラザ・コロニア 34
03 ナシオナル・モンテビデオ
03 サンパウロ(ブラジル) 5 24
04 サンパウロ(ブラジル) 5 34
05 サンパウロ(ブラジル) 5 27
06 サンパウロ(ブラジル) 5 11
06/07 フェネルバフチェ(トルコ) 35 24
07/08 フェネルバフチェ(トルコ) 2 23
08/09 フェネルバフチェ(トルコ) 2 25
09/10 フェネルバフチェ(トルコ) 2 25
10/11 フェネルバフチェ(トルコ) 2 28
11/12 パリ・サンジェルマン(フランス) 15 12
12/13 パリ・サンジェルマン(フランス) 15
12/13 マラガ(スペイン) 4 11
13/14 WBA(イングランド) 14
15 ハッケン(スウェーデン) 2 11
15 セロ・ポルテーニョ(パラグアイ) 15
16 サンパウロ(ブラジル) 5 13
17 サンパウロ(ブラジル) 5    
ユヴェントスでプレーした名手モンテーロの後継者として、堅い守備に空中戦の強さ、さらにリーダーシップでウルグアイの最終ラインを引き締めるCB。両足を使いこなす技術やDFとは思えない得点力も備えますが、激しいチャージがたびたび警告の対象になることもあります。

元選手アルフレッドの息子として生まれ、ナシオナルの下部組織に入団。99シーズンに日本リーグ東芝(現札幌)でプレーしていたウーゴ・デ・レオン監督の下、18歳でプロデビュー。2年目はリーグ優勝を経験するも出場機会に恵まれず、P・コロニアへレンタル移籍します。
ここでは腕章を託され、2年目に34試合4得点を記録。リベルタドーレスの出場権を争うほどにチームを押し上げてナシオナルに戻りますが、その後ブラジルの強豪サンパウロに引き抜かれます。カカやJ・バティスタ、L・ファビアーノといった豪華な攻撃陣をGKセニらと共に支え、05シーズンには翌年に鹿島の監督となるアウトゥオリ監督の下で、サンパウロ州選手権とリベルタドーレス、さらにクラブ世界選手権の3冠を達成。これが評価され2005年12月の南米最優秀選手投票にはテベスに次ぐ票を獲得。翌年もリベルタドーレス決勝の舞台に立ちました。
2006年にトルコのフェネルバフチェと4年契約を結びます。8月27日サカルヤスポル戦でリーグデビューすると、9月9日アンタルヤスポル戦で2点を記録。ジーコ新監督からの信頼も厚く24試合4得点で2年ぶりのリーグ優勝を果たします。翌シーズンのチャンピオンズ・リーグでは場数を踏んだ新加入のR・カルロスらと4バックを作り、攻撃でも決勝トーナメントのセビージャ戦ではシーズン唯一の点を取って、クラブ史上初のベスト8進出に役割を果たしました。
08/09シーズンはスペインを欧州の頂点に導いたアラゴネス監督の下で25試合に出場、キャリア最高の7得点を挙げるもリーグ4位に終わります。2年後に自己最多を更新する8得点で2度目優勝を果たしますが、八百長問題でチャンピオンズ・リーグ出場権をはく奪されました。
2011年コパ・アメリカ優勝を引っ提げ、11/12シーズンにPSGへ。9月11日ブレスト戦でリーグデビューしますが、ビシェバツや冬に加入してきたアレックスとのポジション争いに敗れました。2年目もT・シウヴァの加入で出番を失い、冬にマラガへレンタルされます。2013年1月27日マジョルカ戦でリーガにデビューしますが、デミチェリスらの牙城を崩せませんでした。
13/14シーズンにWBAへ移籍、9月28日マンチェスター・U戦でプレミアデビュー。しかし北アイルランド代表マコーリーとスウェーデン代表J・オルソンの前にベンチを温めました。
スウェーデンを経てパラグアイへ。2016年8月2日G・ディアス戦のリーグデビュー戦など5得点を挙げますが、イエロー10枚、レッド1枚とカードコレクターとなりました。
17シーズンにサンパウロに復帰しています。

フォサッティ監督により2003年2月4日イラン戦でウルグアイ代表にデビューします。2006年W杯予選では8試合に出場しましたが、大陸間プレーオフでオーストラリアに敗れました。
2007年コパ・アメリカでは4位に終わり、2010年W杯予選では17試合に出場、パラグアイ戦やプレーオフのコスタリカ戦など4得点を挙げ、2大会ぶりの出場権獲得に貢献。本大会でも初戦から4戦連続フル出場しますが、ガーナ戦で負傷し準決勝オランダ戦ではピッチに立てず、この影響もあり敗退。続くドイツとの3位決定戦で復帰するものの敗れています。
2011年コパ・アメリカでは6試合に先発出場、まとめ役としてチームに安定感をもたらし、母国15回目の優勝に貢献しました。これにより出場した2年後のコンフェデ杯は4試合に出場、ナイジェリア戦ではセットプレーから先制点を奪ってチームの勝利に貢献しました。
2014年W杯予選は15試合プレー、初戦ボリビア戦で2点を取ってチームに勢いをもたらします。本大会はコスタリカ戦で負傷、以降はベンチでチームを盛りたてました。
代表記録

※:イタリア国籍もあり
2010年10月24日:新規アップ 2017年6月17日更新