ロマナ・ルア=ルア(Lomana LUA-LUA)
フルネーム ロマナ・トレゾール・ルア=ルア
国籍 DRコンゴ
出身地 キンシャサ
生年月日 1980・12・28
身長 178cm
体重 73kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2002・1・20
カメルーン戦
代表背番号 9 15
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 07/08ギリシャリーグ
07/08ギリシャカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98/99 コルチェスター(イングランド3部) 13
99/00 コルチェスター(イングランド3部) 41 12
00/01 コルチェスター(イングランド3部)
00/01 ニューカッスル(イングランド) 20 21
01/02 ニューカッスル(イングランド) 20 20
02/03 ニューカッスル(イングランド) 20 11
03/04 ニューカッスル(イングランド) 20
03/04 ポーツマス(イングランド) 32 15
04/05 ポーツマス(イングランド) 32 25
05/06 ポーツマス(イングランド) 32 25
06/07 ポーツマス(イングランド) 32 22
07/08 オリンピアコス(ギリシャ) 32 21
08/09 アル・アラビ(カタール) 32 11
09/10 オリンピアコス(ギリシャ) 32 12
10/11 オモニア(キプロス) 32 19
11/12 ブラックプール(イングランド2部) 38 28
12/13 カラビュクスポル(トルコ) 32 30 11
13/14 カラビュクスポル(トルコ) 32 12
13/14 リゼスポル(トルコ) 28 11
14/15 リゼスポル(トルコ) 28
14/15 ベレディイェスポル(トルコ) 32 14
15/16 ベレディイェスポル(トルコ) 32 10
15/16 シャンルウルファスポル(トルコ2部) 32 16
16/17     
抜群の身体能力を持ち、特にスピードあふれるドリブルを武器とするST。得点感覚に優れています。ゴールパフォーマンスでバック転をすることがあります。実弟もプロサッカー選手です。

アフリカ大陸コンゴ民主共和国の首都キンシャサ出身。イングランド3部コルチェスターにて18歳でプロのキャリアをスタートさせ、3シーズン在籍しました。
その後複数のプレミアクラブからオファーが届き、00/01シーズンにニューカッスルへの移籍を決断します。その後出場したインタートト杯では2ゴールをマーク。プレミアでの初ゴールは2002年4月13日ダービー戦で、ロスタイムでの勝ち越しゴールとなりました。
ニューカッスルでその後2シーズンプレーしますが、ベラミやアメオビら強力なライバルの存在でシアラーのパートナーとなることはできず、クラブを後にしました。
03/04シーズンからポーツマスでプレー。2月7日トッテナム戦で初出場し、2月28日古巣ニューカッスル戦で恩返しとなるゴールを挙げるなど15試合で4ゴールと結果を残しました。翌シーズンもライバルのサウサンプトン戦でゴールを挙げるなど勝負強さを見せつけ、3年目はチームトップの7ゴールを挙げて1部残留に貢献しましたが、終盤のアーセナル戦でゴールを挙げバック転した際足首を痛めたためパフォーマンスを封印しました。
07/08シーズン、若手の加入によりギリシャに新天地を求めます。チャンピオンズ・リーグにも初出場しますが、R・マドリー、ブレーメン、ラツィオの前にノーゴールに終わりました。リーグでは2冠を達成しますが、自身は虫垂炎を患い不本意な結果に終わりました。
カタールやオリンピアコスを経てキプロスでプレー、9月18日のリーグデビューをゴールで飾りますが、1年で退団します。ブラックプールではK・フィリップスの控えとして28試合に出場しました。トルコ1年目は久々の2ケタゴールを挙げますが、その後は同国内を渡り歩いています。

ニューカッスルでの活躍により2002年1月のアフリカ選手権から代表に呼ばれ、2年後の同大会ではノンダの離脱により主将として出場。しかしチュニジア戦で退場となり、グループリーグ突破はなりませんでした。この関係で2006年W杯予選も4試合のみの出場となりました。
2006年アフリカ選手権では初戦トーゴ戦で1ゴール1アシストを決めグループリーグを突破。準々決勝でエジプトに敗れた後、大会中に生後1歳半となる愛息の他界を知らされました。
2010年W杯予選では3試合戦いますが、上記の病気により規定で2ヶ月の出場停止となりました。チームは3回戦で敗れました。
2013年アフリカ選手権では久々の出場も、3試合ノーゴールに終わっています。
代表記録

2007年9月26日:新規アップ 2016年5月31日更新