アデム・リャイッチ(Adem LJAJIC)
フルネーム アデム・リャイッチ
国籍 セルビア  
出身地 ノヴィ・バザル
生年月日 1991・9・29
身長 181cm
体重 74kg
利き足
ポジション FW(LWG)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2010・11・17
ブルガリア戦
代表背番号 22
W杯メンバー 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 08/09セルビアリーグ
08/09セルビアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
08/09 パルチザン 22 24
09/10 パルチザン 22 14
09/10 フィオレンティーナ(イタリア) 22
10/11 フィオレンティーナ(イタリア) 22 26
11/12 フィオレンティーナ(イタリア) 22 15
12/13 フィオレンティーナ(イタリア) 21 28 11
13/14 ローマ(イタリア) 8 28
14/15 ローマ(イタリア) 8 32
15/16 ローマ(イタリア) 8
15/16 インテル(イタリア) 22 25
16/17 トリノ(イタリア) 10 33 10
17/18 トリノ(イタリア) 10 27
18/19 トリノ(イタリア) 10
18/19 ベジクタシュ(トルコ) 22 27
19/20 ベジクタシュ(トルコ) 22    
本来のWGからポジションを変えながらドリブルやパスで相手を翻弄し、チームの攻撃に多くの選択肢を生みます。技術は卓越していますが、精神面に課題を残しています。

地元ノヴィ・バザルのクラブで3年過ごし、14歳の時にパルチザンにスカウトされます。トップデビューは08/09シーズンで、11月23日OFK戦での初得点など24試合5得点と活躍し、UEFA杯はS・リエージュやシュツットガルト戦でプレーしました。マンチェスター・Uから注目されますが、労働ビザの問題で実現せず、同僚トシッチが正式に移籍しました。
09/10シーズンはセネガル代表L・ディアッラとの前線で4得点、ヨーロッパリーグでも5試合出てシャフタールやC・ブルージュから得点を奪い、フィオレンティーナに移ります。
1月31日カリアリ戦でセリエAにデビューし、スーパーサブとしてジラルディーノやヨヴェティッチを支え、本拠リヴォルノ戦でアシストして勝利を呼び込みます。ミハイロヴィッチ監督になった2年目はローマ勢など3得点4アシストを見せますが、レギュラーはなりませんでした。3年目は第36節ノヴァーラ戦でロッシ監督と乱闘騒ぎを起こすなど成績が下がりました。
4年目はインテル戦の2得点や3度の1得点1アシスト、ペスカーラ戦のハットトリックなど自己最多の11得点を挙げ、13位のチームをヨーロッパリーグ圏内の4位に導きました。
13/14シーズンにローマへ移籍します。層が厚くベンチスタートも多かったものの、ダービーやアタランタ戦など6得点5アシストします。2年目もサッスオーロ戦のドッピエッタや古巣フィオレンティーナ戦での同点弾など8得点を挙げました。ヨーロッパリーグではフェイエノールトから先制点を取って勝ちますが、フィオレンティーナとの同国対決で退場しました。3年目にインテルへレンタルされますが、イカルディやペリシッチのような活躍ができませんでした。
翌シーズンにトリノへ移籍。パレルモ戦との両試合で2得点2アシストし、カリアリ戦で1得点1アシスト、ダービーでの先制アシストなどベロッティとのホットラインを築き、ミハイロヴィッチ監督の下で復調を遂げました。2年目も開幕5試合で3得点2アシスト、インテル戦で決勝点、ミラン戦で同点アシスト、ナポリ戦で2アシストして2年連続で9位になりました。
18/19シーズンが開幕した後にベジクタシュへ移り、9月15日マラティアスポル戦でリーグデビュー。ガラタサライ戦の決勝PKなどブラク・Yに次ぐ9ゴールを挙げています。

2009年のU−19欧州選手権で4試合に出場。翌年の11月17日ブルガリア戦でフル代表デビューしますが、2012年欧州選手権予選は2試合にとどまり敗退。また、本戦直前のスペイン戦では国歌を歌わなかったとしてミハイロヴィッチ監督から追放されました。
2年後に復帰し、2016年欧州選手権予選は5試合に出場して2連発しました。2018年W杯予選は終盤の3試合に出場、本戦も3試合出ますが決定機に絡めませんでした。
ネーションズリーグは3試合で2得点を決めています。
代表記録

余談
・ブラジル代表カカがアイドルで、ミランでの22番を倣っています。
2018年11月9日:新規アップ 2019年7月23日更新