ビセンテ・リザラズ(Bixente LIZARAZU)
フルネーム ビセンテ・リザラズ
国籍 フランス
出身地
生年月日 1969・12・9
身長 169cm
体重 73kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1992・11・14
フィンランド戦
代表背番号 3 12
W杯メンバー 98年 02年
ニックネーム  
個人タイトル 01UEFAベストイレブン
チームタイトル 97/98,99/00,02/03,04/05,05/06DFBカップ
98FIFAワールドカップ
98/99,99/00,00/01,02/03,04/05,
05/06ブンデスリーガ
00UEFA欧州選手権
00/01UEFAチャンピオンズ・リーグ
01FIFAインターコンティネンタル・カップ
01,03FIFAコンフェデレーションズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
88/89 ボルドー 16
89/90 ボルドー 38
90/91 ボルドー 35
91/92 ボルドー 33
92/93 ボルドー 36
93/94 ボルドー 32
94/95 ボルドー 33
95/96 ボルドー 23
96/97 アスレティック・ビルバオ(スペイン) 16
97/98 バイエルン(ドイツ) 11 19
98/99 バイエルン(ドイツ) 3 19
99/00 バイエルン(ドイツ) 3 22
00/01 バイエルン(ドイツ) 3 15
01/02 バイエルン(ドイツ) 3 25
02/03 バイエルン(ドイツ) 3 26
03/04 バイエルン(ドイツ) 3 28
04/05 マルセイユ 3 14
04/05 バイエルン(ドイツ) 69 13
05/06 バイエルン(ドイツ) 69 18
小柄なサイズを感じさせないアグレッシブなプレーが身上の左SB。迫力あるオーバーラップなど、上下動を繰り返します。バスク出身で堅実さも備え、攻守に貢献度の高い選手です。
サーフィンなど他のスポーツもプロ級の腕前で、身体能力や運動神経の高さがうかがえます。

ボルドー在籍時の1988年11月12日カーン戦で国内1部リーグにデビューし、MFジダンやFWデュガリーらと共に活躍します。95/96シーズンのUEFA杯では決勝にコマを進めますが、バイエルンに敗れてタイトル獲得はなりませんでした。
その後1シーズンのみビルバオでプレーします。純血主義を貫く同クラブですが、自身はバスク地方出身のため入団が実現しました。ただし国籍はフランスであるため、戦後(第一次世界大戦)の同クラブ初の外国人選手となりました。
97/98シーズンにバイエルンに入団。当時はマテウスがリベロとして活躍していたため左WBとして、彼の退団以降は4バックのSBとしてプレーします。同胞の右SBサニョールらと共にリーグ3連覇やクラブ25年ぶりの欧州制覇など、黄金期に欠かせない選手となりました。
クラブとの契約が満了し、04/05シーズンに母国マルセイユへ移籍。しかし日本代表を率いたトルシエ監督との間で確執が生まれ、半年でバイエルンに復帰。衰えに加え若手ラームの台頭もあり以前ほど活躍できませんでしたが、国内2冠を連覇して有終の美を飾りました。
その後は解説者を務め、スケルトンの選手としても活躍しています。

1992年11月14日フィンランド戦で代表デビュー。1994年W杯予選はこの試合含めて4試合プレーします。以降デサイー、ブラン、テュラムと組むDFラインでフランス黄金期を支える存在となり、1996年欧州選手権ではベスト4に進出します。
1998年に地元で行われたW杯では、グループリーグのサウジアラビア戦でゴールを挙げるなど6試合に出場して初優勝に貢献します。さらに2000年欧州選手権や2001年コンフェデ杯も制するなど、素晴らしい時を過ごしました。
2002年W杯では優勝候補でしたが、グループリーグ3試合で敗れました。しかし翌年のコンフェデ杯で3試合戦い連覇すると、2004年欧州選手権でも3試合戦いベスト8に進みました。
代表記録 97試合2得点
※サン=ジャン・ド・ルズ
2008年1月9日:新規アップ 2012年9月8日更新