レオニダス(LEONIDAS)
フルネーム レオニダス・ダ・シルヴァ
国籍 ブラジル  
出身地
生年月日 1913・9・16
身長 175cm
体重 75kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1932・12・4
ウルグアイ戦
代表背番号  
W杯メンバー 34年 38年
ニックネーム 黒いダイヤモンド
個人タイトル 38FIFAワールドカップ得点王(7得点)
38,40リオデジャネイロ州選手権得点王
チームタイトル 34,35,39リオデジャネイロ州選手権
43,45,46,48,49サンパウロ州選手権
所属クラブおよび背番号 出場 得点
26 サン・クリストヴァン    
27 サン・クリストヴァン    
28 サン・クリストヴァン    
29 シリオ・リバネス    
30 シリオ・リバネス    
31 ボンスセッソ    
32 ボンスセッソ    
33 ペニャロール(ウルグアイ) 16 11
34 ヴァスコ・ダ・ガマ  
35 ボタフォゴ    
36 フラメンゴ 14 10
37 フラメンゴ 16 14
38 フラメンゴ 16 16
39 フラメンゴ 14 10
40 フラメンゴ 24 30
41 フラメンゴ
42 サンパウロ    
43 サンパウロ   15
44 サンパウロ    
45 サンパウロ   16
46 サンパウロ   12
47 バングー    
48 サンパウロ   11
49 サンパウロ 22 14
俊敏な動きとテクニックで瞬く間にゴール前まで攻め上がり、抜群の身体能力により空中戦も強く、時折見せるバイシクルシュートで観客を沸かせます。愛称「黒いダイヤモンド」。

リオデジャネイロ州に生まれ、故郷のサン・クリストヴァンでキャリアをスタートさせます。序盤はヴァスコ・ダ・ガマ、ボタフォゴなどの名門でさえ2シーズンと在籍しませんでしたが、1936年に同州のフラメンゴに加入したのが、大きな転機となります。
クラブ史上最初の黒人選手として、いろいろな意味でプレッシャーのかかるシーズンでしたが、意に介することなく驚異の決定力を誇り、38と40シーズンにはリオ州選手権で得点王に輝きました。また、チームも3度の選手権制覇に導く活躍を見せたことから、自身の名が付いた商品が発売されるほどのスタープレーヤーとなりました。
1942年にサンパウロへ移籍します。ここでは8シーズンプレーし、49シーズンのリーグ優勝を花道に36歳で現役生活に終止符を打ちました。その後も監督や解説者としてサッカーに携わり、2004年1月24日に死去しました。
フリーデンライヒに続く黒人選手として、人種差別にもめげず出自を恥じることなく常に堂々とプレーしたことが、長期間活躍をできた原動力であることは言うまでもありません。

1932年12月4日ウルグアイ戦にて黒人選手として初のデビューをするだけでなく、いきなり2ゴールを決めて結果を出すと、以降エースの座を確立させました。
1934年W杯はゴールを挙げたスペイン戦で敗れますが、1938年W杯では4試合出場、悪天候の中行われた1回戦ポーランド戦でハットトリックを決めて6−5の打ち合いを制すると、再試合になるチェコ・スロヴァキア戦でも2試合連続ゴールを挙げます。準決勝には出場しませんでしたが、敗れた後の3位決定戦で2ゴールを挙げて通算7ゴールで得点王になりました。
代表記録 37試合37得点
※サン・クリストヴァン※
2008年6月3日:新規アップ 2012年9月2日更新

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