ルイス・エンリケ(LUIS ENRIQUE)
フルネーム ルイス・エンリケ・マルティネス・ガルシア
国籍 スペイン
出身地 ヒホン
生年月日 1970・5・8
身長 180cm
体重 73kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1991・4・17
ルーマニア戦
代表背番号 21
W杯メンバー 94年 98年
02年
ニックネーム ルチョ 闘将
個人タイトル  
チームタイトル 92バルセロナオリンピック金メダル
92/93,96/97,97/98コパ・デル・レイ
94/95,97/98,98/99リーガ・エスパニョーラ
96/97UEFAカップウィナーズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
89/90 スポルティング・ヒホン
90/91 スポルティング・ヒホン 35 15
91/92 レアル・マドリー 7 29
92/93 レアル・マドリー 7 34
93/94 レアル・マドリー 7 28
94/95 レアル・マドリー 7 35
95/96 レアル・マドリー 21 31
96/97 バルセロナ 21 35 17
97/98 バルセロナ 21 34 18
98/99 バルセロナ 21 26 11
99/00 バルセロナ 21 19
00/01 バルセロナ 21 28
01/02 バルセロナ 21 23
02/03 バルセロナ 21 18
03/04 バルセロナ 21 24
本来は右MFですが、GKとCB、ボランチ以外全ポジションに対応するスペインを代表するユーティリティプレーヤー。心技共にアグレッシブな姿勢でチームをけん引します。

地元クラブのヒホンでプロのキャリアがスタート。1989年9月24日マラガ戦で1部デビューを果たします。当初はFWとしてプレーし、2シーズン目に結果を残してR・マドリーに引き抜かれました。そして右サイドにコンバートされ、M・ラウドルップ、アマビスカ、レドンドらと中盤を構成。低迷していたチームの起爆剤となって国内カップとリーグを相次いで制覇しました。
1996年夏、サポーターやフロントとの関係が悪化してバルセロナへ移籍。マドリーのサポーターからは裏切り者扱いされ、バルササポーターからも懐疑的な目で見られていました。しかしボビー・ロブソン監督によりレギュラーの座をつかむと、同時に加入したロナウドとも息のあったプレーを見せて17得点と結果を残します。また、翌97/98シーズンに就任したファン・ハールの戦術も吸収して18得点を決め、リーグと国内カップの2冠やリーグ連覇も果たしました。
その後フィーゴやグアルディオラといったリーダーが相次いでクラブを去ると、腕章を託されるなど、バルセロナの象徴的な存在となります。チームは低迷期に入りタイトルこそ獲得できなかったものの、常に全力でプレーする姿勢はシャビやプジョールら生え抜きの若手に多大な影響を与えました。03/04シーズン終了後に契約満了に伴い現役を引退しました。
そして指導者に転身し、2008年からバルサBを率いて09/10シーズンにチームを2部に昇格させました。11/12シーズンにはローマに就任するも7位に終わって退任しました。

1991年4月17日ルーマニア戦でフル代表デビュー。翌年のバルセロナ五輪では6試合1得点で金メダルを獲得してフル代表に定着します。
1994年W杯予選は2試合だけでしたが本大会メンバーに選出され、4試合1得点でベスト8に進出。しかし、その後の欧州選手権はベスト8に終わり、1998年W杯予選は9試合、本大会は3試合に出場するもグループリーグ敗退、2000年欧州選手権は召集されませんでした。
2002年W杯予選で4試合戦って本大会も全5試合に出場しますが、開催国韓国の前にPK戦で敗退。三度ベスト8の壁に阻まれたのは悔やまれるところです。
代表記録 62試合12得点
2007年10月8日:新規アップ 2012年9月16日更新