ニール・レノン(Neil LENNON)
フルネーム ニール・フランシス・レノン
国籍 北アイルランド  
出身地 ルーガン
生年月日 1971・6・25
身長 177cm
体重 73kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1994・6・11
メキシコ戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 96/97,99/00イングランドリーグ・カップ
01,02,04,06,07スコットランドリーグ
00/01,03/04,06/07スコットランドカップ
05/06スコットランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
87/88 マンチェスター・シティ(イングランド2部)
88/89 マンチェスター・シティ(イングランド2部)
89/90 マンチェスター・シティ(イングランド)
90/91 クルー(イングランド3部) 34
91/92 クルー(イングランド4部)
92/93 クルー(イングランド4部) 24
93/94 クルー(イングランド4部) 33
94/95 クルー(イングランド3部) 31
95/96 クルー(イングランド3部) 25
95/96 レスター(イングランド2部) 15
96/97 レスター(イングランド) 7 35
97/98 レスター(イングランド) 7 37
98/99 レスター(イングランド) 7 37
99/00 レスター(イングランド) 7 31
00/01 レスター(イングランド) 7 15
00/01 セルティック(スコットランド) 18 17
01/02 セルティック(スコットランド) 18 33
02/03 セルティック(スコットランド) 18 28
03/04 セルティック(スコットランド) 18 35
04/05 セルティック(スコットランド) 18 38
05/06 セルティック(スコットランド) 18 32
06/07 セルティック(スコットランド) 18 31
07/08 ノッティンガム(イングランド3部) 18 18
07/08 ウィコム(イングランド4部)
ファール覚悟のタックルで相手の攻撃をシャットアウトし、攻撃の起点となるパスを散らします。豊富な運動量と抜群のキャプテンシーも大きな特徴です。

1987年に隣国マンチェスター・Cと練習生としての契約を結ぶものの、3年間で1試合の出場にとどまりました。クルーに移籍して台頭し、95/96シーズン途中にレスターに引き抜かれます。同胞のオニール監督により出番を得て、チームのプレミア昇格に貢献しました。
プレミア1年目に35試合と、それまでの活躍がフロックでなかったことを証明するだけでなく、初タイトルとなるリーグ杯制覇も達成します。中盤でコンビを組むウェールズ代表MFサヴェージ、アメリカ代表GKケラー、イングランド代表FWヘスキーと周囲にも恵まれ、99/00シーズンに2度目のリーグ杯制覇を経験するなど、5年で170試合6得点の結果を残しました。
00/01シーズン途中にオニール監督がセルティックに招へいされ、自身も追従してスコットランドへ渡ります。そしてそれまで無敵の強さを誇っていたレンジャーズから覇権を奪回、FWラーション、サットン、ハートソン、トップ下のモラヴチク、S・ペトロフと攻撃陣の才能をランバートと共に引き出しました。02/03シーズンはUEFA杯に13試合出場して準優勝しました。
2005年にオニール監督が去り、ランバートから腕章を受け継ぎます。そしてMF中村俊やFWズラフスキといった新加入の攻撃的タレントを生かすべく、CBマクナマラと共に奮闘、ストラカン新監督からも絶大な信頼を寄せられ、リーグ2連覇やカップのタイトルを獲得しました。
06/07シーズン後半からはPMとしての招へいも持ち上がっていましたが、翌シーズンにノッティンガム・Fにフリー移籍、同シーズンにウィコムでキャリアを終えました。
引退後はセルティックに復帰し、監督としてリーグ3連覇を達成しています。

1994年6月11日のメキシコ戦で代表デビュー。キャプテンも務めるなど通算40試合に出場しましたが、アイルランドの南北合同チームでプレーしたいという趣旨の発言をして大きな議論を呼んだため、2002年8月での代表引退を余儀なくされています。
代表記録 40試合2得点

2017年9月23日:新規アップ

13/14セルティック(国内リーグ3連覇)
ストークス プッキ
サマラス フォレスト
S・ブラウン J・レドリー
イサギーレ A・マシューズ
ファン・ダイク ルスティグ
  フォースター