イ・ヨンピョ(Young Pyo LEE)
フルネーム 李栄杓(イ・ヨンピョ)
国籍 韓国  
出身地 ホンチョン
生年月日 1977・4・23
身長 176cm
体重 66kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1999・6・12
メキシコ戦
代表背番号 10 12
W杯メンバー 02年 06年
10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 02/03,04/05エールディヴィジ
04/05オランダカップ
07/08イングランドリーグ・カップ
09/10サウジアラビアリーグ
09/10サウジアラビアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 安養LG 15
01/02 安養LG 29
02/03 安養LG 23
02/03 PSV(オランダ) 3 15
03/04 PSV(オランダ) 3 32
04/05 PSV(オランダ) 3 31
05/06 PSV(オランダ) 3
05/06 トッテナム(イングランド) 16 31
06/07 トッテナム(イングランド) 3 21
07/08 トッテナム(イングランド) 3 18
08/09 ドルトムント(ドイツ) 3 18
09/10 アル・ヒラル(サウジアラビア) 12 22
10/11 アル・ヒラル(サウジアラビア) 12 24
12 バンクーバー・ホワイトキャップス(アメリカ) 12 33
13 バンクーバー・ホワイトキャップス(アメリカ) 12 32
テクニックは凡庸ですがスタミナに絶対の自信を持ち、左SB、右WG、センターハーフをこなす韓国屈指のユーティリティプレーヤー。激しいプレーとは裏腹に温和な性格です。

00/01シーズンより安養でプロデビューして3年間プレーします。シーズン途中にヒディンク監督の要請に応じPSVにレンタル移籍しました。2003年2月15日ズヴォーレ戦でオランダデビューを飾り、その後安定したプレーを見せて完全移籍を勝ち取りました。
03/04シーズンよりレギュラーに座って開幕から8試合連続フル出場し、チャンピオンズ・リーグとUEFA杯でもそれぞれ5試合とタフネスぶりを発揮します。
3年目のチャンピオンズ・リーグでは14試合に出場して準決勝に進出し、ミラン戦第2レグの後半にコクーのゴールをアシストします。結果的に敗れたものの強豪を追い詰め、ヨーロッパに旋風を巻き起こしました。国内ではアヤックス相手に初ゴールを挙げて勝利に貢献しました。
05/06シーズン開幕後にトッテナムへ移籍し、9月10日リヴァプール戦でプレミアデビュー。1年目は31試合に出場しましたが、新星ベイルの台頭により出場機会が減少しました。
08/09シーズンにドルトムントへ移籍し、9月13日ホームでのルールダービーでブンデスリーガデビューを果たします。2試合目のシュツットガルト戦でアシストを見せるなどスタートは悪くありませんでしたが、シーズンの終盤は控えに甘んじました。
中東へ渡ると22試合に出場して国内2冠を達成し、ACLでも2年連続で出場しました。12シーズンよりMLSに移って3月10日モントリオール戦でリーグデビューし、コロンバス戦では決勝点を挙げるなどベテランながら33試合とタフネスぶりを発揮しました。2年目は新加入の小林大などと共に30試合以上戦いましたが、シーズンいっぱいで引退しました。

1999年6月12日メキシコ戦で代表デビューをきっかけにプロに転向しました。2000年シドニー五輪や翌年のコンフェデ杯でそれぞれ3試合出場とレギュラーを獲得します。
2002年地元開催のW杯では、グループリーグのポルトガル戦でコンディション不良のフィーゴを抑え、パク・チソンの決勝ゴールをアシストします。その後決勝トーナメント1回戦のイタリア戦ではアン・ジョンファンの決勝ゴールを演出し、ベスト4進出に多大な貢献を果たしました。
2006年W杯予選は、GKイ・ウンジェに次いで11試合プレーし、2大会連続出場。本大会ではグループリーグ敗退になりましたが、持ち味を発揮して全3試合に出場しました。
2010年W杯予選では10試合戦い、2008年11月19日サウジアラビア戦では韓国7人目の100キャップを記録。3大会連続で権利を得た本大会でも全4試合にフル出場しました。
2011年アジア杯でも6試合先発しますが、準決勝で日本に敗れました。
代表記録 128試合5得点

2007年2月12日:新規アップ 2017年6月18日更新