イ・ドングク(Dong-Gook LEE)
フルネーム イ・ドングク(李同国)
国籍 韓国  
出身地 浦項
生年月日 1979・4・29
身長 185cm
体重 80kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1998・5・16
ジャマイカ戦
代表背番号 11 12 19 20
21 22
W杯メンバー 98年 10年
ニックネーム ライオンキング
個人タイトル 98Kリーグ新人王
00AFCアジアカップ得点王(6得点)
00AFCアジアカップベストイレブン
09,11Kリーグ年間最優秀選手
09Kリーグ得点王
09,11,12,14,15Kリーグベストイレブン
11Kリーグアシスト王(15アシスト)
11AFCチャンピオンズ・リーグ最優秀選手
11AFCチャンピオンズ・リーグ得点王(9得点)
チームタイトル 98AFCクラブ選手権
09,11,14,15,17,18Kリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98 浦項 15
99 浦項 15
00 浦項
00/01 ブレーメン(ドイツ) 21
01 浦項 17
02 浦項 21
03 光州尚武 41 11
04 光州尚武 19
05 光州尚武    
05 浦項 17
06 浦項
06/07 ミドルスブラ(イングランド) 18
07/08 ミドルスブラ(イングランド) 18 14
08 城南一和天馬 10
09 全北現代 20 27 20
10 全北現代 20 25 12
11 全北現代 20 27 16
12 全北現代 20 40 26
13 全北現代 20 29 13
14 全北現代 20 31 13
15 全北現代 20 33 13
16 全北現代 20 27 12
17 全北現代 20 30 10
18 全北現代 20 35 13
19 全北現代 20    
185cmの長身と100mを11秒台で走るスピードを兼ね備え、左右の足から繰り出される強烈なシュートや高い打点のヘディングが持ち味のゴールゲッターです。
赤茶の長髪により「ライオンキング」というニックネームで親しまれています。

幼少時より陸上に取り組み将来を嘱望されますが、小4でサッカーに専念します。通常大学を経てKリーグに入る選手が多い中、高校を卒業してすぐに地元浦項に入ります。
そしてすぐに高い決定力を披露し、高卒選手として韓国史上最高額の契約金での入団という重圧をはねのけ、新人王のタイトルを獲得しました。
2001年1月にブレーメンへレンタル移籍します。プンデスリーガ移籍は英雄チャ・ボンクン以来2人目のとなりましたが、ケガによりノーインパクトに終わりました。
復帰した浦項で2年戦い、光州尚武で初の2ケタゴールをマークしました。3度目の浦項では右ヒザのケガで半年以上リハビリしましたが、リーグ戦で結果を残しました。
2007年1月にミドルスブラと契約を交わし、24日のレディング戦でプレミアデビューします。しかし1年半でリーグ戦ノーゴールと結果が出ませんでました。
しかし全北現代でキャリアが好転。1年目に2度のハットトリックや5度の1試合2ゴールなど20ゴールで得点王とMVPになりチームのリーグ優勝に貢献しました。
3年目も古巣浦項にハットトリックでの恩返しのみならずリーグ最多アシストもマーク。4年目も慶南戦のハットトリックなどキャリア最多の26ゴール、5年目は7試合連続ゴール、6年目は2度の3試合連続ゴール、9年目は終盤に4試合連続ゴールを挙げました。
ACLでも10シーズンに4ゴール、11シーズンにはC大阪戦の4ゴールなど9ゴールで得点王とMVPになりました。また、13シーズンに浦和、15と18シーズンに柏、16シーズンにFC東京からゴールを挙げるなど、30歳を過ぎてからピークを迎えています。

チャ・ボンクン監督により1998年5月16日ジャマイカ戦にて弱冠18歳でフル代表デビューします。直後のW杯メンバーでもオランダ戦に出場しました。
U−19選手権ではMVPと得点王になり優勝の原動力となりました。1999年Wユースは連敗してグループリーグで終わりましたが、自身はマリ戦でゴールを挙げました。
2000年ゴールド杯でコスタリカからゴールを奪います。シドニー五輪予選ではインド戦でハットトリックしました。本大会はチリ戦でゴールを決めるも得失点差でグループリーグで敗退しました。アジア杯ではインドネシア戦のハットトリックなど6ゴールで得点王になりました。
地元開催の2002年W杯は、ヒディンク監督の構想から外れてメンバー入りはなりませんでした。しかし2004年アジア杯は4ゴールと巻き返しに成功しました。2006年W杯予選も8試合で5ゴールと好調を維持したものの、本大会2ヶ月前にヒザを負傷しました。
規律を乱して代表から離れた時期もありましたが、日本やコートジボワールとの試合で結果を残して2010年W杯メンバーに滑り込み、2試合に途中出場しました。
2010年東アジア杯では日本戦でPKを決めるなど2ゴール、2014年W杯予選でも9試合で2ゴールを挙げるなど息の長い活躍で、キャップ数を3ケタに乗せました。
代表記録

2016年10月24日:新規アップ 2019年6月30日更新