フランク・ルブーフ(Frank LEBOEUF)
フルネーム フランク・アラン・ジェームス・ルブーフ
国籍 フランス  
出身地 マルセイユ
生年月日 1968・1・22
身長 183cm
体重 72kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1995・7・22
ノルウェー戦
代表背番号 18
W杯メンバー 98年 02年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 96/97,99/00FAカップ
97/98UEFAカップウィナーズ・カップ
97/98イングランドリーグ・カップ
98FIFAワールドカップ
00UEFA欧州選手権
01FIFAコンフェデレーションズ・カップ
03/04カタールリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
84/85 トゥーロンB(3部)
85/86 トゥーロンB(3部)
86/87 イエール(3部) 14
86/87 モー(3部) 12
87/88 モー(3部) 27
88/89 ラヴァロワ 21
89/90 ラヴァロワ(2部) 32
90/91 ラヴァロワ(2部) 16
90/91 ストラスブール(2部) 17
91/92 ストラスブール(2部) 31 11
92/93 ストラスブール 36 12
93/94 ストラスブール 36
94/95 ストラスブール 34
95/96 ストラスブール 35
96/97 チェルシー(イングランド) 5 26
97/98 チェルシー(イングランド) 5 32
98/99 チェルシー(イングランド) 5 33
99/00 チェルシー(イングランド) 5 28
00/01 チェルシー(イングランド) 5 25
01/02 マルセイユ 18 25
02/03 マルセイユ 18 26
03/04 アル・サド(カタール) 17
04/05 アル・ワクラ(カタール)  
スピードタイプのFWに手を焼く場面がありますが、インテリジェンスとフィジカル、統率力を兼ね備えるDFの理想形。正確なプレースキックやビルドアップと攻撃力も秘めています。

キャリアの当初はFWとしてプレー。トゥーロンではチャンスが少なかったものの、18歳でDFに転向すると出場機会が増加、87/88シーズンに27試合に出てラヴァロアに移籍します。
1988年8月13日ニース戦でリーグアンにデビューします。チームが2部に降格した後も留まり続け、得点力も見せつけて90/91シーズン途中にストラスブールに引き抜かれます。
翌シーズンはハシェックらと共に2ケタゴールを挙げて2部で2位になり、クラブの1部復帰に貢献。92/93シーズンはチーム唯一の2ケタゴールを挙げて一ケタ順位になりました。安定したパフォーマンスに加え、精神的支柱としても役割を果たして6シーズン在籍しました。
非凡な攻撃センスが注目されチェルシーに引き抜かれます。96/97シーズンからPMとなったフリット監督からリベロで起用されリーグ戦26試合に出場し、クラブ23年ぶりのFA杯も獲得しました。翌シーズンはPMヴィアッリの下でレギュラーとしてカップ2冠を勝ち取りました。
98/99シーズンは同胞デサイーの加入に伴い4バックのCBとしてプレーします。マンチェスター・Uに3冠を許しますが、リーグ戦での失点数は彼らより少ない30失点に抑えました。翌シーズンはクラブ初のチャンピオンズ・リーグ出場を果たしてベスト8に進みました。
マンチェスター・Uとアーセナルの前にリーグの覇権は獲れませんでしたが、200試合24得点の記録を残し、テリーの台頭もあって母国マルセイユに移籍します。
ここではベルギー代表ヴァン・ブイテンと共に15位に沈んだチームを後方から立て直し、02/03シーズンはチームを3位に押し上げました。
その後カタールに移り、04/05シーズンで現役を引退しています。

代表デビューしたのは1995年7月22日ノルウェー戦です。翌年の欧州選手権にもメンバー入りこそしましたが、出場機会はありませんでした。
地元での1998年W杯メンバーに入り、デンマーク戦や決勝でプレーして初優勝します。2000年欧州選手権でも1試合戦い母国16年ぶりの優勝に貢献しました。翌年のコンフェデ杯はオーストラリア戦で退場するも3試合で2失点と堅守を見せ、日本との決勝を制しました。
2002年W杯予選は13試合に出て出場権を得ました。本戦はセネガルとの開幕戦で先発するなど2試合に出場しましたが、グループリーグで敗退しました。
代表記録 48試合4得点

2018年2月6日:新規アップ