ポール・ランバート(Paul LAMBERT) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ポール・ランバート | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | スコットランド | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | グラスゴー | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1969・8・7 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 70kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1995・5・21 日本戦 |
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代表背番号 | 7 14 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 86/87,00/01,03/04スコットランドカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
96/97UEFAチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
97FIFAインターコンティネンタル・カップ | |||||||||||||||||||||||||||||
97/98,00/01,01/02,03/04,05/06 スコットランドリーグ |
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所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
86/87 セント・ミレン | 36 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 セント・ミレン | 36 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 セント・ミレン | 16 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 セント・ミレン | 25 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 セント・ミレン | 31 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 セント・ミレン | 40 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 セント・ミレン | 39 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 セント・ミレン | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 マザーウェル | 32 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 マザーウェル | 36 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 マザーウェル | 35 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ドルトムント(ドイツ) 14 | 31 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ドルトムント(ドイツ) 14 | 13 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 セルティック 10 | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 セルティック 14 | 33 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 セルティック 14 | 25 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 セルティック 14 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 セルティック 14 | 34 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 セルティック 14 | 31 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 セルティック 14 | 13 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 セルティック 14 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 リヴィングストン | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
ポジション上そのプレーが大きく取り上げられることは少ないものの、危機察知能力と豊富な運動量により、常に安定したプレーで中盤を支えます。リーダーシップにも定評があります。 17歳でセント・ミレンとプロ契約を結んでキャリアがスタート。即座にレギュラーに定着し、リーグで36試合に出場し、国内カップは優勝します。マザーウェルでも1年目にリーグ3位、2年目は2位になる勢いの中でコンスタントにプレーし、リーグ屈指の守備的MFとなりました。 96/97シーズンにドイツのドルトムントへ移籍します。同時に入団したポルトガル代表P・ソウザと中コンビを組んで司令塔メラーの攻撃力を引き出し、リーグで30試合以上出場。チャンピオンズ・リーグでも決勝ではユヴェントスと対戦、リードレの先制ゴールをアシストすると共に、相手の司令塔ジダンを抑え込むなど攻守に活躍して優勝に貢献。英国圏内以外のクラブで欧州を制した初の英国人プレーヤーとなりました。その後インターコンティネンタル杯も制覇したものの、家庭の都合により2シーズンでドイツを後にしてセルティックへ移籍します。 そしてレンジャーズとのダービー、古巣マザーウェルの2戦連発と瞬く間に結果を残してリーグ優勝に貢献し、ライバルのリーグ10連覇を阻止しました。2年目はキルマーノック戦のレッドに通算8枚のイエローと荒れましたが、再びマザーウェルからゴールを挙げました。3年目もダービーでゴールを挙げて6−2の大勝に貢献し、5年目は開幕戦でゴールを挙げるなど自己最高の成績を収めました。6年目はUEFA杯で11試合で2ゴールを挙げ、86/87シーズンのダンディー以来スコットランド勢2度目の決勝に臨みますが、ポルトに敗れました。 スロヴァキア代表MFモラヴチク、ブルガリア代表S・ペトロフらと共に中盤を形成し、2003年より主将を務めるなど周囲からの信頼も厚く、チームに不可欠な選手となりました。 05/06シーズンのリヴィングストンでは選手兼任監督としてプレー。引退した後は指導者に転身し、主にプレミアで指揮を執っています。 1995年5月21日の日本戦でフル代表デビュー。翌年の欧州選手権にはメンバーから漏れましたが、1998年W杯予選以降に定着し、本大会でも全3試合に出場しました。 2002年W杯予選からは主将を務め、2004年欧州選手権予選まで代表のユニフォームを着続けましたが、いずれも本大会には進めませんでした。 代表記録 40試合1得点 2014年9月13日:新規アップ |