フィリップ・ラーム(Philipp LAHM)
フルネーム フィリップ・ラーム
国籍 ドイツ
出身地 ミュンヘン
生年月日 1983・11・11
身長 170cm
体重 62kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2004・2・18
クロアチア戦
代表背番号 16 21
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム  
個人タイトル 06,10FIFAワールドカップベストイレブン
06,08,12〜14UEFAベストイレブン
08,13,14FIFA/FIFProベストイレブン
08,12UEFA欧州選手権ベストイレブン
チームタイトル Uー19UEFA欧州選手権
06,08,10,13〜17ブンデスリーガ
06,08,10,13,14,16DFBカップ
12/13UEFAチャンピオンズ・リーグ
13FIFAクラブワールドカップ
14FIFAワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01/02 バイエルン
02/03 バイエルン
03/04 シュツットガルト 21 32
04/05 シュツットガルト 21 22
05/06 バイエルン 21 20
06/07 バイエルン 21 34
07/08 バイエルン 21 22
08/09 バイエルン 21 28
09/10 バイエルン 21 34
10/11 バイエルン 21 34
11/12 バイエルン 21 31
12/13 バイエルン 21 29
13/14 バイエルン 21 28
14/15 バイエルン 21 20
15/16 バイエルン 21 26
16/17 バイエルン 21 26
メインは左ですが、両サイドに対応するSB。ドリブル突破とオーバーラップ、正確なクロスでチャンスを作ります。人格者ゆえクラブと代表双方で腕章を巻いています。

ミュンヘン・ゲルンに在籍した後、11歳でバイエルンの育成組織に入ってリザーブチームでプレーします。2001年8月25日ヴァッカー戦でのデビューを2−1で飾りました。
11月にトップチームに昇格しますが、右SBのサニョール、左SBのリザラズといった現役フランス代表の存在により、出場機会はありませんでした。
03/04シーズンにシュツットガルトへレンタル移籍します。序盤は右SBでプレーしていましたが、シュツットガルトではヒンケルがレギュラーだったため、マガト監督により左SBへコンバートされます。これが成功してレギュラーとしてチームの躍進に貢献するようになったのです。
前年チームがリーグで2位だったためチャンピオンズ・リーグにも7試合出場しました。しかし2004年末の試合と、2005年5月の練習中にじん帯を断裂しました。
05/06シーズンにバイエルンに戻って第13節ビーレフェルト戦で戦列に復帰すると、ベテランのリザラズをベンチに追いやり、リーグと国内カップの2冠に貢献しました。
07/08シーズンは22試合の出場にとどまりますが2度目の2冠を達成。チェルシー、マンチェスター・U、バルセロナなどのオファーを固辞し、キャプテンを務めるようになります。
09/10シーズンはプラニッチの加入によりファン・ハール監督に右で起用されます。そしてリーグとチャンピオンズ・リーグの全47試合に出場して覇権を奪回しました。
11/12シーズンはラフィーニャ加入に伴い左SBに戻りますが、若いアラバの成長により再び右SBを務めます。国内ではリーグ、カップ共にドルトムントの後塵を拝し、11試合に出場したチャンピオンズ・リーグでもR・マドリーとの準決勝1stレグで決定的な仕事を見せて決勝に進んだものの、チェルシーの前にPK戦の末敗れて無冠に終わりました。
13/14シーズンに就任したグアルディオラ監督からはアンカーを任され、中盤の攻守を一人、もしくはシュヴァインシュタイガーと共に行い、文字通りチームのかなめとなります。チャンピオンズ・リーグこそ連覇できませんでしたが、国内タイトルは防衛しました。
16/17シーズン、リーグ5連覇を達成して引退しました。

Uー15のカテゴリーから代表でプレーし続け、Uー19欧州選手権では優勝メンバーになりました。クラブでの活躍がフェラー監督の目にとまり、2004年2月18日クロアチア戦でのフル代表デビューをアシストで飾りました。同年欧州選手権メンバーにも抜擢されて全3試合にフル出場しますが、チームは1勝もできずグループリーグで敗退しました。
2005年に地元で開催されたコンフェデ杯はケガで見送りましたが、翌年W杯のメンバーに選ばれます。開幕戦となったコスタリカ戦では中に切り込みミドルで大会初ゴールを記録してチームに勢いを与えるなど、チームで唯一全7試合にフル出場して3位に貢献しました。
2008年欧州選手権予選では9試合、本大会でも6試合に出場。準決勝トルコ戦で貴重なゴールを決めて決勝進出の原動力となりました。
2010年W杯予選はチームで唯一全10試合に先発出場。本大会ではバラックの欠場によりキャプテンを務め、3位決定戦以外の6試合に先発出場しました。2年後の欧州選手権予選でもノイアー、ミュラーと共に全10試合戦い2アシストを決めます。本戦でも5試合先発し、ギリシャとの準々決勝で先制点を挙げるなど2大会連続で準優勝となりました。
2014年W杯予選は9試合に出場。本大会はグループリーグでアンカー、準々決勝以降は右SBと双方で献身的に動き、母国24年ぶりのトロフィーを高々と掲げました。
代表記録 113試合5得点

余談
・ウサギを2匹飼っており、それぞれ「ブラウニー」、「ミルキーウェイ」と名付けています。
2006年8月3日:新規アップ 2017年7月14日更新