フルネーム ソティリオス・キルギアコス
国籍 ギリシャ
出身地 トリカラ
生年月日 1979・7・23
身長 193cm
体重 88kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2002・2・13
スウェーデン戦
代表背番号 16 25
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 03/04ギリシャリーグ
03/04ギリシャカップ
04/05スコットランドリーグ
04/05スコットランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 ニコラオス(2部) 28
00/01 ニコラオス(2部) 25
01/02 パナシナイコス 16 17
02/03 パナシナイコス 16 24
03/04 パナシナイコス 16
04/05 パナシナイコス 16 12
04/05 レンジャーズ(スコットランド) 16 15
05/06 レンジャーズ(スコットランド) 14 28
06/07 フランクフルト(ドイツ) 27 27
07/08 フランクフルト(ドイツ) 27 24
08/09 AEKアテネ 25 20
09/10 リヴァプール(イングランド) 16 14
10/11 リヴァプール(イングランド) 16 16
11/12 ヴォルフスブルク(ドイツ) 16
11/12 サンダーランド(イングランド) 25
12/13 ヴォルフスブルク(ドイツ) 16
14 シドニー・オリンピック(オーストラリア2部)
高くて屈強な肉体を擁し、執拗なマンマークや空中戦など、対人プレーで圧倒的なパワーを見せつけるギリシャ屈指のストッパー。高い打点からのヘディングも強烈で、セットプレー時には得点源になりますが、足元の技術とスピード不足が懸念材料です。普段は温厚な性格です。

ギリシャの名門パナシナイコスの育成組織で成長し、99/00シーズンに2部のニコラオスへレンタル移籍してプロデビューを果たします。ここで定位置を確保して実戦経験を積み、2年後にレンタルバックしました。キャプテンであるDFゴーマスが負傷したことでチャンスが訪れ、チャンピオンズ・リーグでは12試合に出場して準々決勝に進出しました。
翌シーズンは国内リーグで24試合に出場。UEFA杯でも準々決勝にコマを進めました。しかし03/04シーズンの10月1日、チャンピオンズ・リーグのレンジャーズ戦でじん帯を断裂し戦線を離脱したため、チームの国内2冠にも貢献したとは言い難い結果となりました。
04/05シーズン途中にレンジャーズへレンタル移籍します。チャンピオンズ・リーグではホームのポルト戦で決勝ゴールを挙げ、リーグ杯の決勝マザーウェル戦で2ゴールを決めてチームにタイトルをもたらすなど、スコットランドでの生活は成功のうちに終わりました。
06/07シーズンにフランクフルトへ移籍し、8月19日ヴォルフスブルク戦でリーグデビュー。ドルトムント、レヴァークーゼン、ブレーメンといった実力派などから5ゴールを挙げました。2年目は本拠レヴァークーゼン戦で2ゴールを挙げるなどレギュラーを務め1部残留に成功しました。
契約満了に伴いAEKに入り、リーグで3位、国内カップでは決勝に進みましたが、オリンピアコスとの死闘の末惜しくも敗れ、あと一歩のところでタイトルを逃しました。
その後リヴァプールに入団して2009年8月29日ボルトン戦でプレミアデビュー。ヒーピアの後釜としての期待を受けるものの14試合、2年目も16試合と不完全燃焼に終わりました。
11/12シーズン以降は出場機会が限られ、14シーズンにAリーグで引退しました。

U−18やU−21を経て2002年W杯予選のアウェー、イングランド戦でフル代表に初召集され、2002年2月13日の親善試合スウェーデン戦でデビューします。レーハーゲル監督に重用されますが、ケガで2004年欧州選手権を断念し、初優勝には立ち会えませんでした。2005年コンフェデ杯では2試合、2006年W杯予選は3試合出場しました。
2008年欧州選手権予選ではMFカラグーニスと共に全12試合に出場、アウェーのノルウェー戦で2ゴールを挙げるなどの活躍で2大会連続出場に貢献、本大会でもグループリーグで姿を消しますが、全3試合にフル出場しました。
2010年W杯予選でも引き続きDF最多の11試合に出場し、1994年大会以来の出場権獲得に大きく貢献。本大会では2試合ピッチに立ち、大会終了後に引退しています。
代表記録 61試合4得点

※:ソティリオス・キルギアコス(Sotirios KYRGIAKOS)

余談
・代表デビュー以来、2005年コンフェデ杯でブラジルに敗れるまで11試合無敗でした。
2009年12月13日:新規アップ 2016年6月9日更新