ヤツェク・クルジノヴェク(Jacek KRZYNOWEK) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ヤツェク・クルジノヴェク | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ポーランド | ![]() |
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出身地 | カミエンス | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1976・5・15 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 179cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 73kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(LMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1998・11・10 スロヴァキア戦 |
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代表背番号 | 8 18 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 02年 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 03,04ポーランド最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 08/09ブンデスリーガ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 ラドミアク・ラドム(2部) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ラコフ・チェンストホヴァ | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ベルチャトフ(2部) | 34 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ベルチャトフ | 27 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 ニュルンベルク(ドイツ2部) | 33 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ニュルンベルク(ドイツ2部) | 34 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ニュルンベルク(ドイツ) 8 | 29 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ニュルンベルク(ドイツ) 8 | 17 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ニュルンベルク(ドイツ2部) 8 | 31 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 レヴァークーゼン(ドイツ) 8 | 31 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 レヴァークーゼン(ドイツ) 8 | 21 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ヴォルフスブルク(ドイツ) 10 | 32 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ヴォルフスブルク(ドイツ) 10 | 19 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 ヴォルフスブルク(ドイツ) 10 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 ハノーファー(ドイツ) 20 | 14 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 ハノーファー(ドイツ) 20 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
その左足で、強烈なミドルシュートや高精度のフィード、プレースキックと多くの得点機を創り出します。ゴールへの嗅覚も備え、WGとしてもプレー可能な攻撃のスペシャリストです。 10代では大工の職業訓練を受けながら成長し、母国のクラブで3シーズン在籍した後、99/00シーズンに当時のドイツ2部ニュルンベルクに加入。すぐにフィットしてチームの攻撃の中心になりました。しかし4年目の序盤にケガで離脱し、チームも降格となりました。 03/04シーズンに復帰すると自己最多の12ゴールを挙げ、チームの1部復帰に貢献。この活躍が評価され、2003年から2年連続でポーランドの年間最優秀選手に輝きました。 04/05シーズンにレヴァークーゼンへ移籍します。ニュルンベルク時代に短期間ながら指導を受けたアウゲンターラー監督が率いていたため、瞬く間にチームに順応してレギュラーとしてプレーします。キャリアで初めて出場したチャンピオンズ・リーグでは、グループリーグのR・マドリー戦で前半終了間際に強烈な左足のミドルシュートで先制点を挙げ、2点目もお膳立てして勝利に貢献すると、ローマ戦でも後半に逆転ゴールを挙げる活躍を見せました。 06/07シーズンにヴォルフスブルクに新天地を求めます。1年目こそ主力でしたが、リーグ優勝に絡むほどチーム躍進する中で自身のプレーするチャンスは減少し、冬の移籍市場でハノーファーへ移籍します。しかし結果を残せず2年目終了後に引退しています。 フル代表デビューは1998年のスロヴァキアとの試合でした。2002年W杯予選に9試合臨みましたが、途中出場がほとんどでした。本大会では状況が一変し全3試合先発フル出場しましたが、1勝2敗でグループリーグ敗退となりました。さらに2004年の欧州選手権予選ではヒザのじん帯を痛めてピッチに立てず、本大会出場もかないませんでしました。 2006年W杯予選は7試合出場。負傷で苦しんだ時期もありましたが、3試合連続ゴールを挙げてチームの2大会連続出場に貢献しました。本大会では3試合戦いましたが見せ場を作れず、1勝2敗でグループリーグ敗退となりました。 2008年欧州選手権では11試合に出場し、スモラレクに次ぐ4ゴールを挙げます。本大会でもグループリーグ敗退に終わるも3試合フル出場と不動のレギュラーとして活躍しました。 2010年W杯予選も8試合と健在ぶりを見せましたが、敗退しています。 代表記録 96試合14得点 2006年8月28日:新規アップ 2013年9月6日更新 |