ズラトコ・クラニツァール(Zlatko CRANJCAR)
フルネーム ズラトコ・クラニツァール
国籍 クロアチア
出身地 ザグレブ
生年月日 1956・11・15
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1993〜95 セゲスタ
1995〜96 1998〜99 ディナモ・ザグレブ
1996〜96 リンツ(オーストリア)
1997〜97 スラヴェン・ベルーボ
1998〜98 サモボール
1999〜00 アル・マスリ(エジプト)
2000〜01 ムラ・ムルスカ・ソボタ(スロヴェニア)
2001〜01 マルソニア
2001〜02 2003〜04 NKザグレブ
2002〜03 NKリエカ
2004〜06 クロアチア代表
2007〜07 2009〜08 セスヴェッテ
2007〜07 アル・シャープ(UAE)
2009〜09 ドゥナイスカ・ストレダ(スロヴァキア)
2009〜09 ピルズィ(イラン)
2010〜11 モンテネグロ代表
2011〜   セパハン(イラン)
獲得タイトル 93/94,95/96クロアチアカップ
95/96,01/02クロアチアリーグ
11/12イランリーグ
現役時代はFWとして、母国のD・ザグレブやオーストリアのR・ウィーンといった強豪クラブで数々のタイトルを獲得。旧ユーゴ代表として11試合で33ゴールを挙げ、その後クロアチア代表としても2試合出場しました。1993年に現役を引退しています。

「チツォ」という愛称で知られる代表MFニコ・クラニツァールの実父です。性格はオープンで、選手とはもちろんメディアとも積極的にコミュニケーションをとります。
サイドを軸に攻撃サッカーを標榜し、3バックと4バックを局面に応じて使い分けます。

現役を引退してすぐに指導者の道に進みます。主に母国リーグのクラブで指揮を執り、D・ザグレブでリーグ優勝2回、カップ優勝2回を果たしました。また、01/02シーズンはNKザグレブを率いてリーグを制するなど、数多くの実績を残しました。
その実績を携えて2004年欧州選手権終了後にクロアチア代表監督に就任し、8月18日のイスラエル戦で初采配を振るいます。1998年大会で3位に輝いたシュケルやプロシネツキなどの才能を持った選手が去ったので、システム変更に着手します。
3−4−1−2を基本とし、ディフェンスではコヴァチ兄弟やトゥドール、シミッチなど豊富な経験を持った選手を招集します。攻撃面ではトップ下に息子ニコを配置して非難を浴びることもありましたが、W杯予選ではハンガリー相手に3−0と快勝し、上々のスタートを切ります。以降最大のライバルであるスウェーデンに2勝するなど堅守をベースに安定した試合運びを展開します。その結果無敗で1位通過を果たし、21試合5失点で3大会連続の出場権を獲得しました。
しかし本大会では予選の勢いが見られず、ブラジルと日本相手に1敗1分で、ノーゴールでした。オーストラリアとの3戦目ではゴールが生まれ希望を抱かせましたが引き分けに持ち込まれ、決勝トーナメント進出はなりませんでした。
クロアチア代表を辞めて国内外のクラブを渡り歩いた後、2010年にモンテネグロ代表に就任。エースのヴチニッチに加え、若いCBサヴィッチ、FWヨヴェティッチ、中堅のMFヴクチェヴィッチらを擁してウェールズとブルガリアに連勝しましたが、解任されました。
その後イランで指揮を執り、いきなりリーグ優勝してACL出場権を獲得しています。
2006年9月19日:新規アップ 2012年7月6日更新

06クロアチア代表(W杯出場)
クラスニッチ プルソ
  クラニツァール  
バビッチ スルナ
N・コヴァチ トゥドール
シムニッチ シミッチ
  R・コヴァチ  
  プレティコサ