ニコ・コヴァチ(Niko KOVAC)
フルネーム ニコ・コヴァチ
国籍 クロアチア
出身地
生年月日 1971・10・15
身長 178cm
体重 75kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1996・12・11
モロッコ戦
代表背番号 10
W杯メンバー 02年 06年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 01FIFAインターコンティネンタル・カップ
02/03ブンデスリーガ
02/03DFBカップ
06/07オーストリアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
91/92 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 12
92/93 ヘルタ・ベルリン(ドイツ2部) 42
93/94 ヘルタ・ベルリン(ドイツ2部) 32
94/95 ヘルタ・ベルリン(ドイツ2部) 31
95/96 ヘルタ・ベルリン(ドイツ2部) 31 11
96/97 レヴァークーゼン(ドイツ) 7 32
97/98 レヴァークーゼン(ドイツ) 7 18
98/99 レヴァークーゼン(ドイツ) 7 27
99/00 ハンブルガーSV(ドイツ) 11 30
00/01 ハンブルガーSV(ドイツ) 11 25
01/02 バイエルン(ドイツ) 8 16
02/03 バイエルン(ドイツ) 8 18
03/04 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 5 17
04/05 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 5 30
05/06 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 5 28
06/07 ザルツブルク(オーストリア) 6  28
07/08 ザルツブルク(オーストリア) 6 25
08/09 ザルツブルク(オーストリア) 6 12
主に中盤の下がり目にポジションを取り、豊富な運動量を生かして相手の攻撃の目を摘み取りますが、機を見て前線に攻め上がるプレーも見せます。
強靭な精神力と闘争心の持ち主でもあり、チームを鼓舞します。

クロアチア人の両親の下、ドイツのベルリンに生まれます。サッカーを始めたのも同国内のラパイド・ベディングというクラブでした。91/92シーズンにH・ベルリンとプロ契約を交わします。
2年目からレギュラーを獲得し自信をつけると、5年目にはタイミングよく前線に飛び出すプレーを見せるようになって11得点を記録するなど、プレーの幅を広げました。
翌年にレヴァークーゼンに移籍。前年14位と低迷したチームを同時に移籍してきた弟のロベルトやノヴォトニーらとともに立て直し、2位でシーズンを終えます。その後2シーズンも、チームはバイエルンと優勝争いを繰り広げます。チャンピオンズ・リーグでは、97/98シーズン、グループリーグ第1節リエーセ戦にてロベルトとの交代でデビューしました。
99/00シーズンにハンブルガーSVに移籍。1998年W杯に出場できなかったうっぷんを晴らし、2シーズン55試合で12得点と守備的なポジションにしては驚異的な数字を残します。
01/02シーズンにロベルトと同時にバイエルンに入団。日本で行われたインターコンティネンタル杯ではボカに勝利してタイトルを獲得しました。しかしリーグ戦などではエッフェンベルクやイェレミースらとのポジション争いに敗れ、わずか2シーズンで34試合の出場に終わりました。
その後古巣のH・ベルリンに戻り、バイエルン戦でシーズン唯一の得点を挙げます。2年目にリーグ4位になり、UEFA杯出場権を獲得しました。
06/07シーズンよりオーストリアに活躍の場を移します。トラパットーニ監督からの信頼も厚く中心選手として活躍し、日本代表DF宮本らと共にリーグ優勝を果たしました。3年間在籍して08/09シーズンを最後に引退しました。
その後チームに残ってユースやトップのコーチとを務め、2013年1月に母国のユース代表に就任します。しかし2014年W杯予選プレーオフを前にフル代表の監督に抜擢され、弟ロベルトをアシスタントに迎えます。アイスランドとの試合はスコアレスドローで乗り切り2ndレグで勝ちますが、CFマンヂュキッチが退場して本大会初戦に出られなくなりました。
イェラヴィッチを据えたブラジル戦はオウンゴールで先制しますが、ロヴレンのエリア内でのファールでPKを献上するなど逆転負けを喫し、試合後には西村主審に異議を唱えました。その後自滅するカメルーン相手に次の試合への得失点差も考慮して大量得点で勝ちますが、メキシコには攻撃的に敷いた4−3−3の隙を突かれ、グループリーグで敗退しました。

ドイツから代表への誘いがありましたが、クロアチアを選択。リーグで11得点を挙げた活躍などが認められ、1996年12月11日モロッコ戦で代表デビューしました。1998年W杯予選は3試合出場しましたが、クラブでのケガで本大会出場は見送られました。
2002年W杯予選は4試合戦い、アウェーのサンマリノ戦で得点を挙げ自身初の本大会出場を成し遂げます。グループリーグ3試合出場し、イタリアに勝利するものの2敗を喫しました。
2004年欧州選手権でも、フランスやイングランドとグループリーグで同居したこともあって1勝もできませんでしたが、3試合1得点と気を吐きました。
2006年W杯予選は、キャプテンとして最終戦の出場停止を除く全試合に出場。ホームのアイスランド戦では2得点を挙げます。また、トップ下のニコ・クラニツァールの背後で汗かき役に徹し、彼の攻撃センスを引き出しました。本大会ではオーストラリア戦の後半に点を取りますが引き分けに終わり、グループリーグ突破はなりませんでした。
2008年欧州選手権では10試合に出場、本大会でも3試合にフル出場しグループリーグ突破に貢献しますが、トルコにPK戦で敗れました。2010年W杯予選も3試合出場しています。
代表記録 83試合15得点
※:ベルリン(ドイツ)
2006年7月3日:新規アップ 2014年8月5日更新

14クロアチア代表(W杯出場)
  マンヂュキッチ  
オリッチ ペリシッチ
プラニッチ モドリッチ
  ラキティッチ  
ヴルサリコ スルナ
ロヴレン チョルルカ
  プレティコサ