興梠 慎三(Shinzo KOROKI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 興梠 慎三(コウロキ シンゾウ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 宮崎県宮崎市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1986・7・31 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 175cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 72kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2008・10・9 UAE戦 |
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代表背番号 | 10 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 17Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 07〜09Jリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
07,10,18天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
11,12ナビスコ、16ルヴァンカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
17AFCチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
05 鹿島アントラーズ 23 | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 鹿島アントラーズ 23 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07 鹿島アントラーズ 17 | 22 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
08 鹿島アントラーズ 13 | 29 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
09 鹿島アントラーズ 13 | 32 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
10 鹿島アントラーズ 13 | 30 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
11 鹿島アントラーズ 13 | 31 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
12 鹿島アントラーズ 13 | 30 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
13 浦和レッズ 30 | 33 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
14 浦和レッズ 30 | 31 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
15 浦和レッズ 30 | 26 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
16 浦和レッズ 30 | 30 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
17 浦和レッズ 30 | 33 | 20 | |||||||||||||||||||||||||||
18 浦和レッズ 30 | 33 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
19 浦和レッズ 30 | |||||||||||||||||||||||||||||
最前線で体を張るポストプレー、少し引いた位置からの素早い飛び出しや重心の低いドリブル、適切なオフ・ザ・ボールと、1トップにも2トップにも対応できます。 宮崎東SSSにて12歳でサッカーを始め、鵬翔高では2年と3年で高校選手権に出場。大会屈指のMFとして2試合連続ゴールを決めるなど実力を発揮しました。 05シーズンに高校時代の先輩増田誓に続いて鹿島に入団、4月16日千葉戦でJ1デビューします。3年目に多くの出場機会を得て6ゴールを挙げました。 08シーズンに柳沢の13番を受け継ぎ、翌シーズンには柏やG大阪戦の2ゴールなど初の2ケタゴールを達成し、クラブのリーグ3連覇に貢献。ACLでも3ゴールを挙げました。その後は大迫や田代とCFをサポートしますが、12シーズンは浦和戦から4連発、札幌戦から3連発、川崎F、仙台戦で2ゴールと固め打ちを見せて3年ぶりの2ケタゴールを達成しました。 13シーズンに浦和へ移籍、古巣鹿島相手の恩返しや広島戦の2ゴール、さいたまダービーなど原口と共に2ケタゴールを達成しました。翌シーズンは李忠成の加入もありましたがチーム最多の12ゴールをマークしました。15シーズンからは仙台から加入してきた武藤雄やズラタンと共に他クラブの脅威となり、天皇杯ではG大阪との決勝戦など3ゴールを挙げました。 16シーズンは、3度の1試合2ゴールなど自己最多の14ゴールをマーク。リーグ杯ではFC東京戦でハットトリックを決めるなど優勝の原動力となりました。 17シーズンも仙台、清水相手のハットトリックなど杉本や小林悠と得点王を争い、初の20ゴールをマークしました。12試合に出たACLはグループリーグの上海上港戦で退場しますが、川崎Fとの準々決勝2ndレグなど3ゴールでクラブ10年ぶりの優勝に貢献しました。 18シーズンもリーグ戦で川崎Fや広島戦の1試合2ゴールなど上位にも強さを見せ、7シーズン連続の2ケタゴールを達成しました。 2008年10月9日UAE戦で代表デビュー。2010年W杯予選は3試合、2011年アジア杯予選は2試合に出場しましたが本大会行きはなりませんでした。 2015年東アジア杯では4年ぶりに召集されますが、不発に終わりました。翌年のリオ五輪にはDF藤春、塩谷と共にオーバーエージで呼ばれ、ナイジェリア戦でPKを決めました。 代表記録 2017年8月15日:新規アップ 2018年12月21日更新 |