レイモン・コパ(Raymond KOPA)
フルネーム レイモン・コパゼフスキ
国籍 フランス  
出身地 ノーレミン
生年月日 1031・10・13
身長 168cm
体重 68kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 1952・10・5
西ドイツ戦
代表背番号 18
W杯メンバー 54年 58年
ニックネーム ナポレオン
個人タイトル 58バロンドール(フランスフットボール誌)
58FIFAワールドカップベストイレブン
61フランス年間最優秀選手
チームタイトル 52/53,54/55,59/60,61/62ディヴィジョンアン
53,57ラテン・カップ
56/57,57/58リーガ・エスパニョーラ
56/57〜58/59UEFAチャンピオンズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
49/50 アンジェ(2部)  
50/51 アンジェ(2部)  
51/52 スタッド・ランス 33
52/53 スタッド・ランス 33 13
53/54 スタッド・ランス 31 11
54/55 スタッド・ランス 31 11
55/56 スタッド・ランス 30
56/57 レアル・マドリー(スペイン) 22
57/58 レアル・マドリー(スペイン) 27
58/59 レアル・マドリー(スペイン) 30 10
59/60 スタッド・ランス 36 14
60/61 スタッド・ランス 30
61/62 スタッド・ランス 30
62/63 スタッド・ランス 34
63/64 スタッド・ランス 25
64/65 スタッド・ランス(2部) 29
65/66 スタッド・ランス(2部) 27
66/67 スタッド・ランス(2部) 33
168cmの体格的なハンディを感じさせない高い技術と創造性、戦術眼を駆使して数々のゴールを演出、プラティニ、ジダンと続くフランス産ファンタジスタの元祖です。

ポーランド人の父親とフランス人の母親の間に生まれます。フランス北部で炭鉱夫として働く父親の仕事を手伝いますが、事故で指を失ったことによりサッカーに専念します。
非凡な才能を早くから発揮し、ノーレミンの北フランスジュニア選手権を制覇したことでアンジェと17歳でプロ契約します。当初は右WGでしたが、後にCFになりました。
1951年にS・ランスへ移り、3年連続で2ケタ得点を記録して2度のリーグ優勝を達成します。55/56シーズンから始まったチャンピオンズ杯では決勝でR・マドリーに敗れますが、2アシストする出色のプレーが評価されて翌シーズンに引き抜かれます。
CFに君臨するディ・ステファノの存在により再び右WGでプレーします。スペイン代表ヘント、リアルや後に加入するハンガリー代表プスカシュらと共にリーグ連覇、チャンピオンズ杯3連覇と黄金期を築きました。2年目はW杯の活躍もあり、3人目のバロンドール受賞者となりました。
59/60シーズンにS・ランスに復帰し、フォンテーヌやピアントーニといったストライカーをバックアップして2度のリーグ優勝を達成しました。しかし63/64シーズンは2部に降格、当時33歳でクラブに残り、2年で1部復帰を果たしました。クラブの意向により思い通りの移籍が認められず論争も起こりますが、決着がつかないまま現役を終えました。
2017年3月3日に85歳で亡くなっています。

1952年10月5日西ドイツ戦で代表デビューします。2年後のW杯ではグループリーグのメキシコ戦でPKを決めますが、3位に終わって敗退しました。
1958年W杯では、フォンテーヌが13得点の一大会最多得点記録を作る原動力となり、3位決定戦で決勝点など3得点を挙げて大会ベストイレブンになりました。
1960年欧州選手権は決勝大会に進んだものの、ケガで離脱しました。
代表記録 45試合18得点

2017年3月5日:新規アップ